当たり前ってなんだろう?

戯言
スポンサーリンク
スポンサーリンク

とある脱北者のお話

今日とあるレポートを読んだ。
過酷な北朝鮮での生活から抜け出すため、脱北して今はアメリカに住んでいるという青年のAMA(Ask me anything:何でも聞いて)。
I am Joseph Kim, North Korean defector and TED speaker. AMA.

こちらはTEDの講演映像。

「北朝鮮において日々の夢は食べ物を見つけること、そして十分に得る事。ある意味食べ物は愛だったし、食べ物だけが僕の夢だった。」

ダイエットの薬のCMをみて大変驚いたとか(餓死者がでる国にいたらそりゃ信じられないよね)。
父が餓死し、母親と姉は脱北した後行方不明。そしてホームレスへ。
子供ながらに物乞いと盗みで命の火をかろうじて繋いできたジョセフ。
その後、自身も中国へ脱北、アメリカ大使館を経てアメリカへ移住。
いろいろ頑張っているようです。

・・・なんというか、想像がつかないね。
もちろん似たような話は以前にも聞いた事はあるし、イメージはできるけど、思い描くだけで実感は出来ない訳で。

今断食の途中なので、食料を口にする、という生まれてから毎日何の疑問も持たずに繰り返してきた事が、
実は当たり前ではなかった、という事を実感しています。

でもそれは単なるお遊び。

冷蔵庫や冷凍庫にはちゃんと食料が入っている。毎日コーヒーや紅茶を飲む事も出来る。
ゴミ箱にチリまみれのパンが捨てられている事を期待する必要は無い。

死と隣り合わせの過酷な生活の中で、彼は希望を持ち続け、「生きなければならない」と思ったそうです。

この動画に出会わなければこんな事を考える事も無かったでしょう。
自分の世界には触れる事無く、ただ別の世界として、意識される事も無く存在し続けていたのかもしれません。
ある意味この出会いが、”より実感もをって”世界を見る視点を増やした、視野を広げたということでしょう。

でもふと疑問を持ってしまいました。
もう一つ、当たり前だと思って、いや正確には意識する事も無く、当たり前としてきた事、いる事。

「生きなければならない」

それは何故?

(単純な疑問。否定している訳じゃないので悪しからず。)

コメント

タイトルとURLをコピーしました