世界の三大美女と言えば、クレオパトラ、楊貴妃、小野小町ですよね。
でも実際のところ小野小町を三大美女に数えるのは日本だけなんだとか。
世界的にはギリシア神話に登場する美女「ヘレネー」なんだそうです。
(そもそも「三大○○」と3つにまとめたがるのも日本だけ、という話もあるようですが・・・)
さて、このヘレネー。
美人であったが故に「トロイの木馬」で有名なトロイア戦争を引き起こす原因となってしまいます。
イーリオス(別名:トロイア)の王子パリスと共にいなくなってしまうのですが、
パリスに惹かれて一緒に駆け落ちしたとか、いや実は誘拐されてしまったのだ、など幾つか説があるようです。
いずれにせよその美貌が故に不幸に巻き込まれてしまうのが悲しいところ。
絶世の美女へと成長を遂げた一人の女性に、群がり争う男たち。
・・・悲しい性ですな。
さてさて、何故こんな話から始まったのかと申しますと、
ここ下総の地にもかつてその美貌が故に不幸となり、かの万葉集にもその伝説が詠われた一人の女性がおりました。
名は「手児奈(てこな)」
奈良時代以前のお話です。
手児奈伝説
手児奈(てこな)とは、下総国勝鹿(葛飾)の真間(現在の千葉県市川市)に奈良時代以前に住んでいたとされる女性の名前。「手古奈」、「手児名」などとも表記する。
一つの説によると、手児奈は舒明天皇の時代の国造の娘で、近隣の国へ嫁いだが、勝鹿の国府と嫁ぎ先の国との間に争いが起こった為に逆恨みされ、苦難の末、再び真間へ戻った。しかし、嫁ぎ先より帰った運命を恥じて実家に戻れぬままとなり、我が子を育ててつつ静かに暮らした。だが、男達は手児奈を巡り再び争いを起こし、これを厭って真間の入り江(現在の真間川付近に広がっていた)に入水したと伝えられている。古くから語られていた伝説が、この地に国府がおかれた後、都にも伝播し、詩人たちの想像力をかきたてた。
万葉集には高橋虫麻呂や山部赤人らによって詠われたこの伝説に関する歌が複数見られる。
737年に行基がその故事を聞き、手児奈の霊を慰めるために弘法寺を開いた。現在は手児奈霊神堂に祀られている。また、亀井院には手児奈が水汲みをしていたとされる井戸が現存している。
上田秋成による『雨月物語』の一編「浅茅が宿」は同じく下総葛飾の真間を舞台とし、手児奈の伝説をベースとしている。
(Wikipedia 手児奈より引用)
さらにもう一つ。
むかしむかしの、ずっとむかし「手児奈」という美しい娘がいました。上品で、満月のようにかがやいた顔は、都の、どんなに着飾った姫よりも、清く、美しくみえました。
その美しい手児奈のうわさはつぎつぎと伝えられて、真間の台地におかれた国の役所にもひろまっていったのです。そして、里の若者だけでなく、国府の役人や、都からの旅人までやってきては、結婚をせまりました。しかし、手児奈はどんな申し出もことわりました。そのために、手児奈のことを思って病気になるものや、兄と弟がみにくいけんかを起こすものもおりました。
それをみた手児奈は、「わたしの心は、いくらでも分けることはできます。でも、わたしの体は一つしかありません。もし、わたしがどなたかのお嫁さんになれば、ほかの人たちを不幸にしてしまうでしょう。ああ、わたしはどうしたらいいのでしょうか。」といいながら、真間の入江まできたとき、ちょうど真っ赤な夕日が海に落ちようとしていました。
それをみて、「どうせ長くもない一生です。わたしさえいなければ、けんかもなくなるでしょう。あの夕日のように、わたしも海へはいってしまいましょう。」と、そのまま海へはいってしまったのです。
追いかけてきた男たちは「ああ、わたしたちが手児奈を苦しめてしまった。もっと、手児奈の気持ちを考えてあげればよかったのに。」 と思いましたが、もう、どうしようもありません。
翌日、浜にうちあげられた手児奈のなきがらを、かわいそうに思った里人は、手厚くほうむりました。(公式サイト手児奈霊神堂由来より引用)
悲しい物語ですね。
でも少しだけ邪推してしまうのです。
「わたしの心は、いくらでも分けることはできます。でも、わたしの体は一つしか・・・」
「わたしさえいなければ、けんかもなくなる・・・」
ちょっと都合良すぎで、とって付けたような説明に聞こえるのは私だけでしょうか。
広く噂に伝え聞くような美人です。きっとお偉いさん達にも人気があったに違いありません。
なんとかその美人を側に置きたい、でも思うようにはいかなくて・・・それならいっその事・・・なんて。
考え過ぎですね。
あ〜こんな純粋で美しい心をもった美人がすぐ近くに居たらなぁ。
・・・いやまぁたとえ居たとしても、ねぇ。
わかっとります。皆まで言うな。言わんといて。orz
失礼、ちょっと脱線してしまいました。
閑話休題。
その手児奈さんが祀られた手児奈霊神堂は、現在の千葉県市川市にあります。
そこが今回の目的地です。
手児奈霊神堂
R14から市川駅へ入っていく交差点を北に(駅を背に)曲がり、京成本線の線路を超え、真間川にかかる手児奈橋を超えて一つ目の交差点を左。
手児奈霊神堂が現れます。
周辺は道がかなりせまいのでバイク推奨。
車でもいけますがちょっと大変だと思います。
駐車場は本堂の横に。
車数台だけ停められそうなスペース。
ちょっと回り込んで参道の正面入口へ。
右手の掲示板には万葉集にみえる真間の手児奈の歌が掲げられています。
小さな門の先には石畳の参道が境内へと続きます。
社号標には「寛政七年九月吉日」の文字が。
西暦1795年です。今から220年以上前のもの!?
本堂正面から。
並んでいる赤いのぼりが印象的でした。
履物を脱いで中に上がれます。
御朱印を書いてもらっている方もいらっしゃいました。
境内の歌碑。
境内の松。
観音像的な?
参拝に訪れた方が水をかけていました。
本堂前に立て札がある木を発見。
さだまさしさん奉納の「縁結び 桂の木」。
市川に住んでいたんだね。
池もあった!
真間 稲荷神社
同じ敷地内に稲荷神社も建っています。
神輿も。
真間の井
駐車場側の斜め前に「亀井院」というお寺があり、その敷地内に手児奈さんも使っていたと言われる井戸が残されています。
亀井院
お邪魔してみると、どうやらこの先にあるらしい。
ありました。
真間の井です。
現在は井戸として機能していないようです。
まとめ
悲しい物語ではありますが、幾多の時代を経て神となり、産土神として住民の信仰をあつめています。
安産祈願、子授け、子育てなどに御利益があるとのことなので、興味のある方は訪れてみてはいかがでしょうか。
おまけ
境内に居た猫。
近寄ろうかと思ったらにらまれた。
その直後におしっこ。そりゃ迷惑だよね。ごめんなさい。
ということで今回は以上!
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