【昔話】本福寺の切られ地蔵(松戸)へ 千葉ツーリング散歩

斬られ地蔵へ バイク(2輪もろもろ)
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そう言えばお地蔵さんて人気ものだよね。
いつからかは知らないけど。

仏教のことなんて何も知らなくても「お地蔵さん」って名前は誰でも知ってる。
あっちゃこっちゃに立ってるし、昔話にも良く出てくるし。

しかもあの閻魔大王の本地仏(本来の姿)という解釈もある。日本限定だけれども。
仏教界のせれぶりてぃだね。(キラリ

まぁそれはさて置き、
ちょっと前に白井市にある「切られ庚申」を見に行ってみました。

【伝承ミステリー】鳥見神社の切られ庚申(白井市) 千葉ツーリング散歩
刀傷の残る石碑があるらしい。 しかも物の怪がらみですってよ!奥さん!(?) もうその時点で興味津々なわけですが、なんかワクワクしてきません? ・・・あれ?そうでもない? さてさてそんなわけで 千葉県北西部、白井市は富塚地区にある鳥見神社の境...

刀傷の残る庚申塚でしたが、今回は刀傷の残るお地蔵さんのお話です。

前回の風早神社から歩いて8分ほど、本福寺というお寺にありました。

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本福寺へ

時宗のお寺。珍しい気がするけど・・・地域によるか。

本福寺(ほんぷくじ)は、千葉県松戸市上本郷にある時宗の寺院。

明治12年(1879年)に届け出た寺院明細帳によると、開基は元応元年(1319年)3月15日とあるが、終戦後に同寺の檀家で発見された鉦鼓の口縁部に「嘉元改元癸卯天九月吉日」および「本福寺開祖他阿弥陀仏」と陰刻されていたため、遊行二代の他阿上人が嘉元元年(1303年)に開創したのではないかとされている。元々日暮にあったものを上本郷に移転したとも伝えられる。

Wikipedia(本福寺 (松戸市))より引用

風早神社から北西方向へ。
住宅街の中を少し走ると駐車場が見えてきました。

本福寺 駐車場
本福寺 駐車場入口
駐車場入口

駐車場は墓地の裏手にあるかんじ。
そこから正面の方へと回り込むように歩いて行きます。

観音像
道に面した所に観音像

積まれた墓石
なんか一角には墓石やら石仏が積まれてる。
墓じまいしたものかな?

寺の正面
お寺の正面に到着
ん?何やら足下には黒い石碑が。

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吉田松陰脱藩の道碑
「吉田松陰脱藩の道」

吉田 松陰(よしだ しょういん)は、日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られる。私塾「松下村塾」で、後の明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた。

(Wikipedia 吉田松陰より引用 )

言わずもがな有名な御仁。

とは言いつつその時は「へ〜そうなんだ〜」っていうくらいの感じでした。
名前こそ知っているものの具体的に何をしたかまでは・・・。不勉強ですいません。

その後調べてみると、
尊王攘夷を主唱した思想家でしたが、結構エキセントリックな人物だったと知ってビックリ。

ペリー来航後、友人に宛てた書簡にて曰く

「此の時こそ一当てにて日本刀の切れ味を見せ度きものなり」

次の年国書の回答を受け取りにきた時には・・・という話らしい。怖いよ。落ち着こ(汗

まぁ単に「日本人とはどういうものか(大和魂)を見せてやる」という意味であったとする説もありますが。

そうかと思えばその黒船に小舟で近づき(盗んだ!)、漂流を装って乗り込もうとしてみたり、老中暗殺を企ててみたり、まぁ〜やる事成す事飛び抜けてる。
良く言えばとても熱い人だったようです。

その吉田松陰が脱藩したという理由も、東北へ遊歴するのに通行手形が間に合わなかったからとか。

同行予定の江幡五郎なる人物が兄の敵討ちを決意。
出立の日を赤穂浪士討ち入りの日にあわせ準備するも、このままでは間に合わない!と脱藩してしまう。

ただその後に肝心の仇討ちは成されず、なんだったんや〜と怒り心頭だったとか。
そりゃそうだ。最悪死罪の脱藩までしたのにね。

まぁそんなこんなで一足先に水戸へ向かう道中、このお寺に一夜の宿を求めたらしい。

ただ聞けば本人の家法にて「仏法に惑わず」と言う。
あんまり好きじゃなかったみたいだね、仏教。
なのにお寺に泊めてもらうの?・・・とか思ったのは内緒。

さてさて、話を戻しまして、

石仏
入口に並ぶ石仏たち

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本福寺由緒沿革
本福寺由緒沿革

市内唯一の時宗寺院なんだって。
慶長(1596〜1615年)末期に移築されてきたらしい。

梵鐘
入ってすぐ左手に梵鐘

本堂
そして正面に本堂

切られ地蔵

斬られ地蔵 ★上本郷の七不思議

昔、覚蔵院というお寺がありました。このお寺で盆踊りがあった夜の事、踊りの輪の中にこのあたりでは見かけないひときわ踊りの上手な男がいました。村の娘たちがその男にうっとりしているのを見て、面白くないと思った村の若者が、その男を斬りつけたところ、男は暗闇へと姿を消しました。

翌朝、その若者がお寺に来てみると、お地蔵さんの胸に大きな刀傷があったので、夕べの踊りの上手な男はお地蔵さんだったのかと驚いて、ひれ伏して謝ったと言います。
 なお、覚蔵院というお寺はもうありませんが、「斬られ地蔵」は本福寺に祀られています。

松戸市HPより引用)

ということで件の切られ地蔵です。
梵鐘の脇を通る小径の横に立っていました。

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切られ地蔵
切られ地蔵

もう少し寄ってみます。
切られ地蔵の刀傷
たしかに顔から胸にかけて刀傷のようなスジが見受けられます。

・・・誰ですか?石の目とか呟いたの。(私です)

でもこんな切られ方したら洒落にならんね。
村人もいきなり斬りつけるとかやめようよー(棒)

せっかくだから隣にあった遊び心満載のおみくじルーレットにも挑戦。

大吉
大吉でました!
ギリだけどちゃんと大吉!

境内その他

大師堂

大師堂
大師堂・・・だと思う。

一遍上人像

一遍上人像
梵鐘の傍らには一遍上人像

慰霊碑

慰霊碑
先の大戦で犠牲になった近隣住民の供養のために建てられたそうです。
居合わせたおばちゃんが教えてくれました。

まとめ

切られ地蔵は思った以上に斬られてましたね。
他に特筆すべき点は・・・ないかな。あは(^^;

でも居合わせた人が自然と会話できるような、暖かい雰囲気のあるお寺さんでした。
散歩に来てた犬には吠えられたけど。(ーー;

ということで今回は以上!

おまけ:明治神社

本福寺から200mほど北に明治神社があります。

斬られ地蔵はかつてこの隣にあったお寺(覚蔵院)に置かれていたんですね。

ちなみにこの神社も2001年、不審火による火災で社殿が焼失。その2年後に新しく建て替えられたものだそうです。
とても素晴らしい装飾と色彩に彩られた美しい社殿でした。

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