蚊に刺された~(ToT

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蚊に刺された。カユイ。
かゆ~い、itchy、juckend、痒いのだ。

勿論痒いのはアレルギー反応だと知識としては知っている。
だから掻いたりして刺激せずに放って置くのが一番だと頭ではわかっているのだが・・・ついつい手を伸ばしてしまう。

爪でバツを描いてみたり揉んでみたり・・・
叩いてみたり。

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愚考

そのときにふと思った。
何故ダメだとわかっていても刺激をするとある種の幸福感?のような・・・勝利感?達成感?充足感?いや違うな満足感のようなものを一瞬ではあるけれど感じるのだろうか。

蚊も生き物だ。食料を得なければ死んでしまう。我々となんら変わらない。それは理解している。
しかも血を吸うのはメスだけで、産卵期に必要なたんばく質を得るために吸血するという。
(時々痒くしてくれなければ少々の血液ぐらい分けてあげても構わないとすら思う。だって吸われる少々の血液ぐらい失っても死にゃしないしね)

話を戻して、
にしてもなんで満足感のようなものを”感じる”のだろうか。
それが皮膚に感じる忌々しい違和感としての痒みをより長い時間、より継続的に味わう羽目、つまり軽度の”苦しみ”になることがわかっていたとしても。

そして痒いと感じている時にはその部分を違った視点から見ているような気もする。
つまり痒い部所が鬱陶しい。決して憎悪とまでは言わないが鬱陶しい。
普段は引っかき傷ができただけでもわざわざ視界に入るように脳の運動中枢から指令を出し、身体を行動させ、且つ無事であることをわざわざ確認したがるのにも関わらず、だ。

我々が認識している「意識」というものは何故にそう利己的で自分勝手で自己中心的、わがままなのか。
或いは無意識下に行われる脳内処理を経て、意識はそいういう情報をレポート(※1)として上げられた通り受け取り、思考や感情を通じて仕事をしているだけなのだろうか。
(※1「意識」は様々な並列的脳内処理を経た上でその結果を受け取り事後処理を行う存在でしかないと仮定した場合。)

いずれにせよ、一時的であっても己の構成要素(と考えていた)身体を攻撃するような行動は、とても「意識」が「自己の本質」を表す権化のようなものでは無いと思ったわけだ。
しかし己を構成している部分が自己全体を脅かす存在となったときにはそれを切り離す、というのも自己保存の働きの一部だとは言えるもしれない。自己の本質とはなんだろうか。

自己保存が生来DNA等により得た絶対的なルールだと言うのは容易い。
それならば何故そのことに対して疑問を僕は持ってしまうのだろうか。。。

とりあえず今一つ言えることは、少々の睡眠が自分にとって必要だという事かな(笑

そしてももう一つ。どうも自分は影響されやすい人間のようだ。
文章が読んでいる書籍の文体になってしまう。ますます己がわからなくなる。(苦笑

・・・おやすみなさい。

【追記@後日】
酔っ払って書いたということをここで強調しておきたい。でも・・・
(つω<〃) ハズカシイ

しかし中身の無い話をよくここまでつらつらと書けるもんだなぁと我ながらビックリ。(笑

コメント

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