芝山仁王尊(観音教寺)へ バイクでふらっと千葉散歩

芝山仁王尊 バイク(2輪もろもろ)
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さてさて、
今回は表題の通り千葉県は芝山町にある「芝山仁王尊」に行ってきました。

ここの仁王様は火事・泥棒除けにご利益ありと篤く信仰されているようです。

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芝山仁王尊・観音教寺

正式には天応山観音教寺福聚院と号する。奈良時代の天応元年(781年)に藤原継縄により創建された天台宗の古刹。本尊は十一面観世音菩薩。中世には千葉氏の祈願寺、近世には火事・泥棒除けの祈願寺として庶民の信仰を集めた。成田山とともに各地から参拝され、昭和30年代までは門前に旅籠もあった。千葉県指定文化財の三重塔や芝山町指定文化財の仁王尊像などの文化財を有している。

(芝山町HPより)

千葉県のお寺と言えば成田山新勝寺などが有名ですが、こちらのお寺もなかなかどうして、荘厳な三重塔を境内に有するとても立派な古刹でした。

新勝寺がある成田から「芝山はにわ道」の62号線を南下します。
ちなみにこの芝山はにわ道は成田空港のすぐ横を走っており、離着陸する飛行機の轟音が真横、真上から降り注いできます。

そんなこんなで暫く進むと今回の目的地である芝山仁王尊・観音教寺に到着です。

駐車スペース
参道の階段手前に駐車するスペースがありました。

小さな花
足下には小さな花々。
春の暖かさとともに、生命が至る所から溢れ出づるのを感じます。

御馳走を求めて飛んでいるミツバチを刺激しないよう、ゆっくり歩いて参道へと向かいます。

参道の階段と仁王門
階段の向こうに仁王門の屋根が見えてきました。

大黒堂
階段を上がったすぐ右手には大黒天がいる大黒堂。

大黒様
大黒様。

ここで豆知識。(以下wikipedia 大黒天からの引用です)

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日本においては、大黒の「だいこく」が大国に通じるため、古くから神道の神である大国主と混同され、習合して、当初は破壊と豊穣の神として信仰される。後に豊穣の面が残り、七福神の一柱の大黒様として知られる食物・財福を司る神となった。室町時代以降は「大国主命(おおくにぬしのみこと)」の民族的信仰と習合されて、微笑の相が加えられ、さらに江戸時代になると米俵に乗るといった現在よく知られる像容となった。現在においては一般には米俵に乗り福袋と打出の小槌を持った微笑の長者形で表される。

袋を背負っているのは、大国主が日本神話で最初に登場する因幡の白兎の説話において、八十神たちの荷物を入れた袋を持っていたためである。また、大国主がスサノオの計略によって焼き殺されそうになった時に鼠が助けたという説話(大国主の神話#根の国訪問を参照)から、鼠が大黒天の使いであるとされる。

まさか背負っている袋が持たされている荷物だったとは!(笑

でも小槌の由来は不詳だそうです。
まぁ豊穣の神ですからね、袋が「豊かさを持つ」という意味に変化したとき、
「(豊かさを)生み出すもの」として打ち出の小槌的なものが描かれても不思議はないかと。

芝山仁王尊と仁王門

手水舎と仁王門
大黒堂のその先に、手水舎と仁王門が見えます。

大わらじ
仁王門正面の大わらじ。

獅子
獅子の彫刻。

彫刻
扉や欄間などにあった彫刻。

しかしこの仁王門は立派です。
今まで見た中で一番かも?

と言うのも、
大抵の場合仁王像はいわゆる門番として立ち、仁王門はその仁王様のための”屋根を伴った門”。

でもここの仁王様は厚い信仰を受け、畳の敷かれた”堂内”に置かれている。

そう、この仁王門自体がいわばお堂であり、
仁王様はそれぞれ須弥壇(しゅみだん:仏教寺院において本尊を安置する為に一段高く設けられた場所)にいらっしゃるのです。

写真はNG
しかしながらとても、とても残念なことに写真撮影はNG。

もちろん入室はできるので、近くから拝観することは可能です。(-人-)
火事・泥棒除けの御利益があると信じられています。

印象としては・・・なんかめっちゃ黒かった。見間違いかな?(笑
気になる方はぜひ現地で実際にご覧ください。

天井千社札
通路天井。
千社札もいっぱい。

仁王門通路
仁王門内部の通路。

彩色豊かに彩られている訳ではありませんが、素朴ながらも細かな仕事が見て取れる素晴らしい建物だと思います。

ここだけでも見に来る価値はアリ

本堂

本堂と境内
門を抜けると正面に本堂が見えてきます。

香炉
香炉があり、一束100円で献香できます。

本堂正面
本堂正面。

こちらも写真撮影はNGです。

参拝の際にちょっと覗いてみましたが、日の光がガラスに反射してよくわからず、
ご本尊である十一面観世音菩薩を確認する事は出来ませんでした。残念。

三重塔

さて、
本堂から右へと視線を移せば、というか実は本堂に行く前からこれでもかと強烈な存在感を放っているのは・・・

三重塔と境内
こちらの三重塔です。

観音教寺三重塔は、方三間、総欅造、銅板平葺きの層塔で、高さは25メートル。柱はすべて円柱、正面1間は両開きの桟唐戸(框を縦横に組んで、間に板をつける)となっている。建築年代は、擬宝珠の文政9年(1826年)の銘から、この頃に建てられたと考えられる。嘉吉2年(1442年)の銅製棟札から、初めは千葉胤直・胤賢兄弟の寄進によって建てられたとされる。

(芝山町HPより)

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芝山仁王尊 三重塔
正面から。
圧巻です。

境内その他

山王社

石仏
石仏と

山王社
その先にある山王社

芝山天神

芝山天神
芝山天神

不動堂

不動堂
不動堂

昭和29年、岐阜市の安田賢三氏が、子息の菩提を弔うために再建されたお堂で、ご本尊に安田家の守り本尊であった不動明王をお祀りしております。
安田氏のご子息が病に倒れ、「自分はもうこの世を離れねばならないが、不動明王の行かれる場所が決まる迄は離れられない」と言い出されたそうです。
そこで安田氏は、愛知県に住む稲荷信仰の行者野田末次郎氏に依頼をし、大神に伺を立てて頂いたところ「吾、上総国芝山より出しもの。疾く疾く行きて元の座に安置せよ」とお告げがあり、当寺に奉納されました。
その昔、行者さん達はよく御分身を携え修業に出ておられたので、57世現住職もこのお不動様もその御分身の一躰であろうと合点し、御奉納頂くことに致しました。その頃ご子息の容体が急変し、他界されました。不思議な縁の伝えられる御尊体です。
観音教寺HPより)

不思議なお話です。

黒龍大王神

黒龍大王神
黒龍大王神(己巳尊)

かつて見世物小屋にいた大蛇が死んだ際、興行師の枕元にたった龍神のお告げにより奉納されたとか。

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芝山稲荷

芝山稲荷
芝山稲荷

吾妻号の碑

吾妻号の碑

吾妻号の碑の由来

文久元年(1861)フランスの主産業である養蚕業が蚕の病気蔓延により、大打撃を受けた際、徳川幕府はこれを救済すべく、日本産の蚕を送りました。フランスはその返礼として、皇帝ナポレオン三世が第十四代将軍徳川家茂に、7頭の馬を贈りました。そのうちの1頭にアラブ種受胎の名牝がおり、幕府はこの牝馬を高砂と命名しました。

高砂は牝馬を生み、吾妻と命名し、その後牡二頭、雌九頭を産し、我が国アラブ種の名牝馬といわれ、明治29年(1896)「推定三十三才」で下総御料牧場にて死亡しました。その業績をたたえる記念碑が大正十一年牧場内に建立されましたが、成田空港の建設に伴い、関係深い当寺に移されました

(現地看板より)

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まとめ

花びらも散り、すっかり葉桜になった今日この頃。
だいぶ暖かくなってきました。

でもまだ微妙な季節感。
日中は暖かく、日差しを浴びているジャケットの中では少し汗ばむ時もあり、一方、日が暮れればまだまだ肌寒さを感じる空気だったりもします。

とは言え、こんな風に肌で直接季節を感じられる所もまたバイクの魅力の一つです。

そんな中、芝山仁王尊を訪れて見たわけですが行って良かった。
隠れた名所(・・・いや隠れてはいないか(笑))といった感じで、自然の緑に囲まれ清々しい空気に満ちており、
いざ敷地に入ってみると意外に広く、立派な仁王門、そして三重塔などが迎えてくれました。

この日は人があまり居ませんでした。

参拝客に溢れた活気のある寺社も良いのですが、のんびり散策できるような雰囲気のお寺も良いなと感じました。

本堂の隣には「芝山はにわ博物館」が併設されています。
1階には考古資料やはにわが、2階にはお釈迦様の生涯を描いた絵が展示されているとのこと。

今回は入りませんでしたが、いずれ機会があれば覗いてみようと思います。

年中無休 9:30~16:30(入場は16:00まで)
・入館料
一般 200円 
シルバー 100円(65歳以上)
小・中学生 100円

だそうです。

興味のある方は是非。

参道の花
おまけの1枚。参道の階段上からの景色です。
春だなぁ。

今回は以上!

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