前回の佐原・諏訪神社の続き。
とくに下調べはしていなかったのですが現地にて看板を発見。
すぐ近くに不動尊があるようなのでそちらにも足を運んでみました。
日本三不動の一つと言われるみしるし不動尊(菅谷不動尊)を祀っているお寺のようです。
諏訪神社の駐車場から少し上って行った所、展望台のすぐ目の前にあります。
展望台
佐原の町が一望できる展望台。
・・・ということなんですが、
残念ながら何も見れませんでした。(^^;
諏訪山 荘厳寺
それはともかく本題の諏訪山 荘厳寺です。
当寺は開基寛永十八年の寺院であり約三七〇年もの間、多くの人々の信仰とともにありました。現代では日本三不動の一つ「菅谷不動尊」、国指定重要文化財である「十一面観音立像」を祀っており、平成二十七年度には菅谷不動大尊像(みしるし不動尊)を新たに本堂にお迎えいたしました。
寺域は約一町歩を有し、境内の一部は佐原でも古くから桜の名所になっていて、その季節には大勢の人たちでにぎわいます。
(荘厳寺WEBサイトより)
はじめは「?」て感じでちょっと混乱。
菅谷不動尊なの?でも観音像があるの?あるけど本尊でもないの?どゆこと?みたいな。
どうやら歴史的に色々あるようです。
そもそも境内の板碑によれば江戸時代よりさらに遡って室町時代からあるようで、
その時代時代において拝礼対象の別はあれど、里人の心の拠り所になってきたのでしょう。
諏訪明神が佐原村の鎮守となり、その別当寺として開基されたものと考えられており、
明治の廃仏棄釈によって廃寺の危機を迎えるも、菅谷不動尊(日本三大不動尊の一つ。新潟県新発田市)を勧請し再興に努めたとのこと。
十一面観世音菩薩の方は、もともと香取神宮の別当寺であった金剛寳寺(神宮寺)のご本尊として祀られていたそうです。
これまた明治の廃仏棄釈によって堂塔伽藍など全て壊され打ち捨てられていたものが、縁に寄り荘厳寺に寄贈されて現在に至るそうです。
ようやく平成の世になって収蔵庫が建てられたとか。
なんと言うか・・・ご苦労様です。
入口の門柱
入ってすぐ右手には庚申塔など。
境内のいたるところに石仏が並べてあります。
本堂へと向かう道の右手に忠霊殿
忠霊殿とは仏式による霊廟だそうで、
国家や君主のために戦って戦死したものの魂を供養するものだそうです。
神式だとぱっと思い浮かぶのは靖国神社ですかね。
忠魂碑や忠霊碑のような「石碑」はよく見かける気がしますが、霊廟はあまり見た事なかったかも。
忠霊殿の左手奥には八坂神社の奥宮。
みしるし不動尊
本堂正面。
不動尊像につながる5色の紐が見えます。
お堂の窓から見た、みしるし不動尊像(頭部のみ)。
みしるし不動尊の意味
- 一つには「み首」の意味
- 文字通り「お頭」のみのお不動様で、日本一の大きさであります。
- 二つには「み標」の意味
- 目標を持って努力する者の影となって守ってくださるお不動様、学問を志すもの、芸能を志すもの、商売を志すもの、一心に努力を重ねている人を守り、必ず成功へと導いてくださるお不動様であります。
- 三つには「み験」の意味
- 文字通り霊験あらたかなお不動様であります。このお不動様を信仰する全ての人に尊い霊験を現してくださいます。
(現地看板より)
なぜ首だけなの?
ちなみに帰ってから情報を収集。
日本三大不動尊の一つとも数えられる菅谷不動尊は、新潟県新発田市にあるものと知りました。
平治元年(一一五九)源義朝の末弟「慈應護念上人」はその不動堂にこもって専心修行していたが、平治の乱によって兄義朝が討たれ、その子等も六条河原で処刑されたり、伊豆に流され、さらに残党狩りのため不動堂の護念上人も襲われたが、連よく谷底に閼伽水を汲みに行っていたために難を逃れた。
帰ってみると、堂内は荒らされ、御本尊様は横倒しになっていたため、自分が追われていることを知った上人は、日頃信心していた不動明王と別れがたく、そのお頭を笈に納めて比叡を下り廻国行脚の旅に出た。
それから二十六年、源氏によって平家が滅ぼされた丈治元年(一一八五)、越後の国蒲原郡の菅谷の村を歩いていた護念上人は、急に背中のお不動様が重く感じ、道のそばにあった松の枝に笈を掛け、その下で休んでいたが、いつの間にかうとうとと眠ってしまった。 すると、夢の中にお不動様が現れ、「われここにぞ止まるべし」と仰せになった。
驚いて目を覚ました上人は枝にかけた笈に合掌しこの地に不動尊をまつろうと決心し草庵を造りお不動様を安置した。これが現在新発田市菅谷にある菅谷不動尊の開基である。頼朝が幕府を聞く七年前のことであった。
(荘厳寺WEBサイトより)
なるほど。
そういう理由で頭だけの不動尊になったわけですね。
まとめ
こう言っては何ですが、何の事はない、ふつ〜のお寺さんです。
もの凄く派手なわけでもなく、石仏なんかは並んでますが、特徴的で見所満載ってわけでもない。
千数百年あまりの時代を感じさせ・・・という程、古い歴史があるということでもない。
でもね、暖かいんです。もの凄く。
勿論、気温的なことではありません。
はじめはよくわからなかった。
なんか、なんだろう?この不思議な感じって思って。
「ふわふわ」するような「ほわぁ〜」ってするような。
うまく言葉では言い表せない感じ。
でも不動尊像を見ているときに、本堂へ向けて手を合わせている方が一人いたんですよね。
目が合って軽く挨拶をしたその瞬間、気がつきました。
「慈しみ・優しさ」なんです。この暖かさって。
赤子の頃に母親に抱かれているその温もりみたいな。
決して神社のように荘厳でどこまでも透き通っているかのような、むしろ冷たさすら感じさせるほどの空気、畏れ多さではないんです。
荘厳ではなく(ここは荘厳寺ですけどw)、暖かく包み込むような、人肌の温もりを感じさせる慈しみです。
形骸化と本物の祈りの別を知った気がしました。
なんかちょっとオカルトっぽい感想になってしまいましたが、実は邪気眼を持ってるんだぁ!とか言わないのでご安心を。
そしてあくまでも個人的な感想なのであしからず。
是非一度足を運んでみる事をお勧めします。
ということで今回は以上!
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