今回は(今回も?)簡単にご紹介。
千葉市は稲毛区長沼町にある駒形大仏です。
中山大仏、以前紹介した鎌ケ谷大仏と並び「北総三大仏」と称されるとか。
(正直聞いた事無いけど・・・そんな呼称あるの?)
鎌ケ谷大仏、八幡神社、魚分の句碑
今回はツーリングスポット、と銘打っていいのか少し悩みます。 というのもこの近辺は気軽に停められる場所も駐車場もありません。 すこし離れたところに駐車場のあるコンビニや大型店舗がありますので、 そちらを利用した上ですこし周辺を散歩・・・という...
鎌ケ谷大仏より少し大きいらしい。
でも「北総三”大”仏」っていうのは・・・良いんだろうか
良いんです!
・・・。
さて、意味も無く強調したところで早速ご紹介。
長沼の駒形大仏
R16からr66へ入ってすぐ、交番の隣に敷地があります。
残念ながら駐車場や駐車できるスペースはありません。
300mほど先にトライアル長沼店があったので、買い物がてらそこに停めて徒歩で向かいました。
入口の様子。
比較的交通量の多い道路に面しています。
レンズを向けている反対側(後ろ)には、車が渋滞で並んでいました。
入って左にはお地蔵さんや供養塔。
右には「子安様」と書かれた表札に石像たち。
子安信仰とは、
安産・子授け・子育てなどを祈願する民間信仰のこと。
子を胸に抱く観音像。
駒形大仏
前方に目を向ければ本堂と大仏が目に入ります。
今回の目的、駒形大仏。
露出が微妙で真っ黒に写っちゃってますが・・・
実際はこんな感じ。
千葉市指定有形文化財 長沼の駒形大仏
長沼町はもと、長沼新田と呼ばれ、寛文12年(1672)に江戸の町人4人によって出された開発願いが許可されて成立した新田村であった。駒形観音堂は、元禄16年(1703)の大仏開眼入仏に際し、大巌寺16世本蓮社然誉上人沢春大和尚が馬頭観音を本尊として開基した。
駒形大仏は、像高約2.4mを測り、腹前で定印を結ぶ如来形坐像で、掌上に持物をのせていた痕跡がある。頭部は割込型鋳造で、体部は別鋳した各部を接合して造っている。衣文の膝上よい背面一帯に、尊像の造立に浄財を寄附した60ヶ村の念仏講中名が刻まれ、また刻銘により元禄16年鋳物大工橋本伊左衛門藤原重広の作であることが知られている。もとは今の堂より西南にある駒形千軒に安置されていたが、元文4年(1739)3月に移座し、その際の損所を修復した記録が、向って右膝に刻まれている。江戸時代の大規模鋳銅像として有数の像である。
(現地看板より)
長沼町はもと、長沼新田と呼ばれ、寛文12年(1672)に江戸の町人4人によって出された開発願いが許可されて成立した新田村であった。駒形観音堂は、元禄16年(1703)の大仏開眼入仏に際し、大巌寺16世本蓮社然誉上人沢春大和尚が馬頭観音を本尊として開基した。
駒形大仏は、像高約2.4mを測り、腹前で定印を結ぶ如来形坐像で、掌上に持物をのせていた痕跡がある。頭部は割込型鋳造で、体部は別鋳した各部を接合して造っている。衣文の膝上よい背面一帯に、尊像の造立に浄財を寄附した60ヶ村の念仏講中名が刻まれ、また刻銘により元禄16年鋳物大工橋本伊左衛門藤原重広の作であることが知られている。もとは今の堂より西南にある駒形千軒に安置されていたが、元文4年(1739)3月に移座し、その際の損所を修復した記録が、向って右膝に刻まれている。江戸時代の大規模鋳銅像として有数の像である。
(現地看板より)
斜めから狛犬さんと。
・・・ん?狛犬?
ここは神社じゃなくて観音堂だったような・・・。
それはともかく、優しそうな横顔。
本堂である観音堂。
馬頭観世音が中に祀られているそうです。
残念ながら内部は見れませんでしたが。
境内その他
大師堂
天神様
力石
まとめ
大仏さんの作りがすこし荒いというか、つなぎ目が目立つ造りです。
もうすこしバリを丁寧にとってあげたほうがよかったんじゃ・・・なんて思ったのは内緒です。
アクセスするにもバイクならともかく、車での参詣はちょっと面倒くさいかな、という印象。
とりあえず・・・大仏さんは見た。
以上。
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