突然ですが鮭が遡上する南限て知ってます?
鮭は産卵の為に自分が生まれた川に戻ってきますよね。
やはり北海道とか北の方のイメージが強いのですが、
実は千葉県の栗山川だと言われているのです。
本当の所はどうなんでしょうか?
今回はその鮭と縁の深い山倉大神に参拝してきました。
山倉大神
由緒
弘仁2年(811年)の創建で、大六天王社の総社として古くから人々の信仰を集めている。現本殿は安永7年(1778年)に建立されたもの。江戸期までは真言宗山倉山観福寺別当であったが、明治の神仏分離令により大六天王を観福寺に遷座、明治3年(1871年)山倉大神と改め、高皇産霊大神、建速須佐男大神、大国主大神を祭神とした。
(wikipedia 山倉大神より)
大六天王社と言えば織田信長が自らを称したと言われる第六天魔王を祀る神社。
ここがその総社だったとはちょっとびっくり。
実際は信長がそう名乗っていた、というより、
武田信玄との書状のやり取りに洒落をきかせてそう署名した、というのが本当のところらしいですが。
また「山倉の鮭祭り」と呼ばれる祭礼が行われており、千葉県の無形民俗文化財に指定されているそうです。
千葉県のHPにある情報(山倉の鮭祭り)によれば、
山倉大神の例大祭で、毎年12月の第1日曜日に行われる。祭りの起源は明らかになっていないが、昔、栗山川に上がってきた鮭を捕えた人が、鮭の頭に大の字があったので、これを山倉大神へ奉納したことが始まりともいわれている。祭りが近づくと、きまって鮭が遡上してきたため、この地の人々は鮭を「おしゃけさま」と呼んで崇めてきた。
山倉大神では、鮭を龍宮献進のものとし、奉納された潮漬けになった鮭を、祭りの前日に、小さい切り身にさばき、護符として整える。夕方には御輿渡御も行われる。祭礼当日は護符とした鮭の切り身を参拝者へ配り、御輿が山倉地区を練り歩く。この護符は、「災いをさける」と珍重され、常備されている鮭の黒焼きの護符とともに、病災消除特に風邪薬として知られている。東日本に顕著な漁獲物である鮭が神饌として、重要な役割を果たす祭りとして特徴づけられる。
ちょっと珍しい神事ですよね。
実を言うとここへは前回の「みしるし不動尊」と
「諏訪神社」に行ったついでに寄りました。
香取にあったことと、
普通○○神社とか○○宮とかなのに「山倉大神」というちょっと変わった名称だったことにも惹かれたので。
山倉大神に到着
鳥居
この鳥居から少し進んで、カーブを曲がった先に駐車スペースがあります。
鳥居をくぐると参道の先に神社入口が見えます。
入口から。
正面に拝殿が見えますね。
狛犬さん達。
入ってすぐ左手に石碑、その下に力石が並んでいます。
ご丁寧にkg表示まで。
試しに持ち上げようとしましたが・・・無理でした。
ぴくりとも動かない。(^^;
その反対側には鮭が彫られた碑がありました。
社殿
拝殿前はちょっとした広場のようなスペースになっています。
拝殿。
最近塗り直されたんでしょうか、彩色が鮮やかです。
「大六天神宮」と書かれた扁額。
前述の通り、大六天王社の総社だったからですね。
額殿
奉納された絵や模型が掲げられている額殿。
近所の小学生たちが遊びに来ていました。
この子達がもの凄く礼儀正しい良い子達。
「こんにちは〜」と元気に挨拶してくれました。
二三言葉を交わすといつも遊びにきているとの事。
その後境内の写真などを撮りながら何とはなしに聞いていると、
どうやら中学生になった友達を鮭祭りに誘ったものかどうか悩んでいる模様。
「中学生になったら中学生の付き合いがあるだろうから・・・」
とかいちいち可愛い。(笑
拝殿の模型でしょうか。
神楽舞台
神楽の舞台です。
立派な舞台。
多くの場合、普段は扉を閉めて中を見せないようにしているのでこれはちょっと珍しいかも。
ここで市指定の文化財「白川流十二座神楽」が奉納されるそうです。
まとめ
よく手入れされ、住民の方々に愛されている場所だと言うのがよくわかります。
あと境内にある木が何気に大きい。(@@;
鮭祭りは12月らしいので、その時期に改めて訪れてみたいと思いました。
でもちょっと寒いかな?
とりあえず今回は以上。
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