ちょっと前から気になっていました。
富津市にあるという岩谷観音堂。
岩山をくり抜いた洞窟に多数の磨崖仏が彫られているのだとか。
「これは行かねば!!」
と思いつつも時は経ち・・・。
さらに時は経ち・・・。
が、先日標準レンズも手に入れた事だし、ふと行ってみようかと思い立つ。
場所は富津。
うちからだと片道100kmくらいか。
いざ富津の岩谷観音堂へ
改めて地図で場所を確認。
要所要所の風景をストリートビューで軽く確認したらいざ出発。
ナビ? 使いません。
迷ったとしてもそれもまた一興。(震え声)
迷わなかったけど。
地図はちゃんと持っていきます(笑)
岩谷観音堂に到着
到着。
数馬区岩谷観音堂(場所はこちら)
あまり目立つ感じではないので知らないと行き過ぎてしまうと思う。
赤い立て看板とのぼりが目印です。
駐車スペースはそこそこ広いので車でも大丈夫。
道路を挟んで反対側は川(湊川)
前日の雨のせいだろうか、かなり濁っています。
遠くに見える丘陵も素敵。
目的の岩窟は民家の裏手にある階段を上った先にありました。
岩谷観音堂
岩谷堂
奈良時代の高僧行基による一夜の作と言い伝えられている岩谷堂は、岩山に幾つもの石洞が彫られ、その洞壁に数多くの仏像が浮き彫りにされています。古くは、横穴式の古墳と思われますが鎌倉時代の「やぐら」形式の岩洞もあります。
明治時代の石碑には、数馬村大悲山岩谷堂清厳寺と記され、本尊は十一面観音菩薩のお寺です。線刻や浮き彫りの五重塔、大黒様に不動様、庚申塔に弘法大師、縄文時代の石棒と首だけのお地蔵様など、永い間、村人の祈りや集いの場所として在り続けた村の博物館です。
天羽作観音霊場三十四番
南方のむくの世界の岩谷堂 まいる心は清厳寺
今朝までは親とたのみしおいづるを ぬいで納めるきよいわの寺
(現地看板より)
古代の横穴式古墳が後世に手を加えられ、幾世を経て現在の形になったと考えられているようです。
余談ですが、
かなり柔らかい材質の岩山なようで、後に出てくる磨崖仏たちの風化も激しく、表情をよく見てとる事は出来ません。
それほど柔らかい材質なのに岩窟自体、千数百年という時間を持ちこたえられるのかと問われたら・・・どうなんでしょう。
ま、仮に数百年であっても十分凄いんですけどね。
とりあえず上ります。
と、上る途中に突然隣から「ガサガサ!」
なんせビビリですから、驚いたのなんのって。
蛇でした。(ーー;
しかもちっちゃいし(笑
マムシのようにも見えますが、
どうやらアオダイショウの子供らしいです。
幼い頃はこうやってマムシの柄に似せて身を守ろうとするのだとか。
いずれにせよ苦手です。(苦笑
岩窟ではないけれど、途中に石仏などが置かれた場所が。
無縫塔(坊さんの墓:丸いやつ)らしきもの見えます。
かつて岩窟に置かれていたものを移動させたのでしょうか。
その先にお堂が見えてきます。
観音堂です。
観音堂正面
「大悲山 岩谷観音堂」の額が見えます。
残念ながらお堂内部を見る事は出来ませんでした。
お堂前の石碑
ちなみに道路から見上げた観音堂はこんな感じ。
岩谷観音堂岩窟
さてさて、さっそく岩窟へと足を踏み入れてみましょう。
観音堂の右手に岩窟の入口と由来碑があります。
岩窟に入ってすぐ右手には仁王像らしき彫像。
風化してしまって表情などはわかりません。
手がいっぱい。
千手観音的な?
壁一面に彫られた仏像群
出口
岩窟自体はコの字型に彫られています。
出口手前にあった階段。
彫られた穴が、これまた削って作られた階段で繋がれていました。
手すりは数年前にとり付けられた模様。
その先の部屋にも磨崖仏。
そこを外から見た様子。
出口側(観音堂に向かって左側)を外から見た様子です。
戻って、観音堂に向かって右側の様子
こちらも階段があるので二階のテラス席(?)へ。
このテーブルや椅子はくつろげるように近隣住民の方が置いたとの事。
ここにも同じく壁に彫られた仏像群。
まとめ
TVでたまたま見かけ、
おぉまだそんな面白スポットがあったのか!と情報をストック、今回足を運んでみました。
比較的アクセスしやすいし、ふらっと寄って見るのにおすすめです。
幾世代にもわたり、時に弔いの地として、時に信仰の対象としてあった場所。
今後とも是非大事に残していって欲しいところです。
だって富津市のサイトにも情報が載っていないとか寂しすぎるでしょう。(^^;
(無いよね?見落としてるだけかな。)
カニにも出会った
帰りの階段でカニに遭遇。
「アカテガニ」というらしい。
全国で見られるカニさんのようです。
帰って調べたら、
カニなのに水が苦手で、長時間入れたら溺れちゃうとかなに(笑)。
蛇といい蟹といい、生命感溢れている場所はいい場所だ、きっと。
ということで今回は以上!
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