刀傷の残る石碑があるらしい。
しかも物の怪がらみですってよ!奥さん!(?)
もうその時点で興味津々なわけですが、なんかワクワクしてきません?
・・・あれ?そうでもない?
さてさてそんなわけで
千葉県北西部、白井市は富塚地区にある鳥見神社の境内にあると聞き、
ちょっと面白そうだったので見に行ってみました。
鳥見神社
この鳥見(とりみ、またはとみ)という神社、実は全国的な広がりはなく、かなりローカル色の強い神社なのだとか。
地図上ではよく名前を見ていたのでそうとは知りませんでした。
千葉県北西部を中心とした一定の地域に分布しているそうです。
さてさて、早速みていきましょう。
鳥見神社に到着!
海上自衛隊下総航空基地のお隣、東側にその神社はありました。
R16から県道280へ入り、さらに畑と家々の間の細い道を入って行きますと鳥居がみえてきます。
住宅地の中でちょと分かりづらい。
事前に良く確認を。
駐車場はありません。
鳥居の扁額
「鳥見大明神」
ちょっと不思議な文字
鳥居をくぐると参道の先にニの鳥居が見えます。
足下には石祠
左手にはずらっと庚申塔などが並んでいます。
文字が彫られた庚申塔
庚申塔の建立が広く行われるようになるのは、江戸時代初期(寛永期以降)頃からである。以降、近世を通して多数の庚申塔が建てられた。当初は青面金剛や三猿像のほか、阿弥陀、地蔵など主尊が定まっていない時期を経て、徐々に青面金剛像が主尊の主流となった。その後、江戸中期から後期にかけて「庚申塔」あるいは「庚申」と文字のみ彫り付ける形式が増加する。
(wikipedia 庚申塔より引用)
江戸中期から後期のもの、ということですかね。
青面金剛のものも並んでいます。
切られ庚申
並んで置かれている庚申塔を見て行きますと、一番奥にお目当てのものがありました。
看板が建てられている前の庚申塔をみてみると・・・
白井市指定有形民俗文化財
鳥見神社の切られ庚申
鳥見神社の参道には多く庚申塔が並んでいますが、その一番奥側(本殿側)に建つこの庚申塔は、安山岩製の板碑型の三猿庚申塔で、高さは102cmあります。
表面には「奉造立庚申二世安楽之所」の文字と共に雲龍坊など十三名の名が陰刻され、下部には三猿(向かって右から言わざる聞かざる見ざる)が陽刻されています。
一方、右側背面には大きくえぐられた傷があります。宝永三年(1706)に建てられたこの庚申塔は本来、我孫子市布佐など利根川岸から白井市内を経て松戸市へと続いていた「鮮魚(なま)道」の脇に建っていたもので、明治時代の初期にこの場所に移されたものだと言われています。鮮魚道は江戸時代に銚子で水揚げされた魚を運ぶのに利用された道です。庚申塔のえぐられた部分は、魚を運搬する鮮魚師(なまし)がある夜中に火の玉に襲われ、恐ろしさのあまり闇雲に刀を振い、誤って斬りつけてしまった刃跡だという伝承があります。
鮮魚道の存在は近世の白井を語る上で大きな特徴の一つであり、本庚申塔は鮮魚道にまつわる伝承を持つ市内でも代表的な文化財として重要なものです。
(現地看板より)
火の玉に襲われるとか怖すぎ。
どうしよ襲われたら。
死んだふり・・・とかは意味ないか。(笑
確かにちょっと欠けてる
まわりこんで3つの角度から
これって・・・石の目で割れただけじゃ・・・
はっイカンイカン、何を寝ぼけた事を言ってるんだ私は。
どこからどう見ても刀刃によるもの!
目の前にその情景が浮かんでくるではないか。
♦ ♦ ♦
道の辻に建てられた庚申塔。
その前を足早に通り過ぎようとする鮮魚師が一人。
「いけねぇいけねぇ遅くなっちまった。急がねぇと夜が明けちまう。
しかしここいらはちょいとばかし薄気味悪くていけねぇや。
う〜いやだいやだ。
おや?あの光ってるのはなんだい・・・
気味が悪いねぇ、蝋燭ったってあんなにふわふわ動くもんかい?
ひ、ひぃいいいい!」
♦ ♦ ♦
あれ?ちと待て、魚を運搬するのに刀をぶら下げてるの?
魚だけでも重かろうに。
ちなみに庚申塔自体は意外とちっちゃいです。
写真で見るとすこし大きく見えましたけど。
鳥見神社の歓喜天
そのお隣にはこれまた珍しい歓喜天の石仏です。
歓喜天(かんぎてん)は大聖歓喜天又は聖天(しょうてん)と呼ばれる仏教の守護神の1人で、人身象頭(じんしんぞうとう)の特異な姿をしています。
この仏神はインドの古代神話に仏道修行者を誘惑する悪者として登場しますが、のちに仏教に取り入れられ、障害や困難を排除する仏教の守護神として再生します。二体が抱き合う双身像であることから、この仏神を祀る寺院では秘仏とされることが多いそうです。そして、その仲睦まじい姿から男女和合・縁結び・子恵みの神として多くの人々から信仰されています。この歓喜天は富塚鳥見神社に安置され、明和8年(1771年)に西輪寺(さいりんじ)の関係者によって、客殿の造り替えを記念して奉納されたことがわかっています。現在、木造で銅板葺の覆い屋の中に納められています。(白井市webサイト 鳥見神社の歓喜天(市指定文化財)から引用)
こちらも市指定文化財です。
木で作られた覆い屋のなかに鎮座しています。
上から失礼して
鼻をからませ、官能的な抱擁を見せています。
富塚鳥見神社本殿
こちらもまた市指定文化財。
富塚地区の産土様で、創建の時期は不明ですが、慶安三年(1650年)、享保十九年(1734年)、寛政九年(1797年)、文化九年(1812年)、明治八年(1875年)の五枚の棟札が残っています。本殿の建造・修築の来歴がはっきりとしている貴重な神社建築です。現在の本殿は文化九年(1812年)のものと考えられ、一間社流造で、総ケヤキの素木造です。本殿の随所には壮麗な彫刻が施されています。庇柱は県内でも類例の少ない竜の巻き付いた意匠が彫刻され、壁三面は全て二十四孝を題材とする彫刻で飾られています。
大工は地元神々廻出身と考えられる笠井杢之直で、彫工の竹田重三郎は左甚五郎の系譜の名工です。市内を代表する神社建築のひとつです。屋根はもともと草葺でしたが明治八年(1875年)に銅板葺に改修されました。現在の浅瓦葺への改修は最近のものです。
本殿と合わせて棟札5枚、本殿を巡る玉垣(弘化四年(1847年)造)についても関連性の高い資料として附指定しました。(白井市webサイト 富塚鳥見神社本殿(市指定文化財)から引用)
本殿の彫刻 正面
本殿の彫刻 南側
本殿の彫刻 東側(後ろ)
本殿の彫刻 北側
その他境内
神楽殿
「富塚の神楽」として江戸時代末期から舞われてきた神楽は現在活動休止中とのこと。
狛犬
・・・のおしり
ハムケツとかいうのを見たのでつい。
反省はしている。
ウグイス
境内を見て回っている時、
落ち葉をひっくり返すような音がひっきりなしに聞こえてくる。
鳥だろうかと思って見ると確かに鳥で、近くに寄ってもなぜかあまり逃げようとしない。
人に慣れているのだろうか。ウグイスだよね?これ。
ちなみに「ウグイス」って言われて鮮やかな緑色の鳥をイメージするかもしれませんが、あれはメジロだそうです。
まとめ
あまりアクセスしやすい場所とは言えませんが、
見事な彫刻で立派な本殿、綺麗に掃除された境内、
ウグイスの姿もあって生命感溢れる気持ちのよい清々しい場所、という印象でした。
ぜひ足を運んでみてください。
ということで今回は以上!
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