以前、「酒の井」伝説が伝わる酒々井町の石碑と井戸跡を紹介しました。
いわゆる養老伝説ですね。養老の滝といえば聞き馴染みあるかな。
伝説発祥の岐阜が最も有名ですが全国的に伝えられており、千葉県にもそんな場所があるんです。
そのリサーチ中、松戸にも「子和清水」と呼ばれる湧き水がある事を聞いていました。
先日たまたまその前を通る機会があり、
少し写真を撮ってきましたので簡単にご紹介。
養老伝説とは
まずはおさらい。
『昔むかし、印旛沼の近くの村に年老いた父親と孝行息子が住んでおった。父親はたいそう酒好きでな、親思いの息子は毎日一生懸命働いて父親に酒を買っていたんじゃ。ところがある日、どうしても酒を買う金がつくれずに、とぼとぼと歩いて家に帰ろうとしていた。その時、道端の井戸から何とも良い香りが「ぷうん」としてきた。井戸の水をくんでなめてみると、それは本物の酒だったんじゃ。さっそく帰って父親に飲ませると、「こりゃうまい酒だ。ありがたい、ありがたい」とたいそう喜んだ。息子はそれから毎日、毎日井戸から酒をくんで飲ませたんじゃ。ところがこの酒は、親子以外の人が飲むと、ただの水になってしまうんじゃな。「きっと、孝行息子の真心が天に通じたに違いない」とみんながほめたたえた。
(酒々井町 町名の由来より一部引用)
これは酒々井町のお話ですが、
基本的にはこのように息子が酒好きの父親の為に頑張って親孝行するお話です。
たぶん一度は聞いた事があるかと。
酒が出るのは井戸であったり泉であったり滝であったり。その辺のバリエーションは豊富。
でも本当はお酒じゃなかった?
ところが色々調べて行くうちに、元々はお酒ではなく、さらに親孝行という話でもなかったことを知りました。
びっくり。
この話の初出は「続日本紀」。
巻七・十一月癸丑(11月17日)に養老改元に関する記述があります。
国史大系. 第2巻 続日本紀(コマ59右)
(「インターネット公開(保護期間満了)」の為、国会図書館デジタルコレクションより引用)
元正天皇はその二ヶ月前(九月丙辰(9月20日))に訪れた多度山の美泉を再び訪れ、数日間滞在。
自ら泉に手を入れ水をすくうと肌が綺麗になり、痛い所を洗えば痛みが取れたという。
また浴びたり飲んだりすれば白髪は黒くなり、目が見えぬものは見えるようになり、病はことごとく治癒したという。
これを天からの賜物と考えた元正天皇は元号を養老と改めた、などとあります。
西暦717年のお話です。
つまり元々は「奇跡の水・若返りの水」であった、というのが最初のお話のようです。
いつからお酒に?
同年十二月にはその水を使って酒を醸造したという記述があります。
おそらくその辺りが後に混同され、物語にお酒の話が加えられたのではないかと。
さらに鎌倉中期(1252年)の教訓説話集「十訓抄」などに話が載り、
これが流布されると広く全国に伝わってローカライズされ、現在聞かれる物語になったようです。
子和清水へ
さてさて、ようやく本題。
養老伝説が残っている湧水池で、昭和30年代までは、豊富な湧き水が出ていましたが、残念なことに周辺開発により枯れてしまいました。現在は、子和清水1号緑地の一部として、当時の面影を忍んで井戸水をくみ上げ保全しています。
また、子和清水には、小林一茶の句碑があります。
「母馬が番して呑ます清水かな」【伝説】むかし、この近くに酒好きな老人が住んでいた。貧しい暮しなのに、外から帰るときには、酒に酔っている。息子がいぶかって父のあとをつけてみると、こんこんと湧き出る泉を手で掬って、さもうまそうに「ああ、うまい酒だ」といって飲んでいた。父の去ったあと子が飲んでみると、ただの清水であった。この話をきいた人々が「親はうま酒、子は清水」というようになった。
(松戸市 常盤平地域の自然・風景より引用)
伝説に親孝行の要素は入ってないようです。
綺麗な清水というところに重点が置かれたのでしょうか。
昔は豊富な湧き水が出ていたのに枯れてしまったのは残念ですね。
子和清水に到着
普通に交通量の多い交差点です。
一通出口の左にある緑のエリアがそれ。
交差点名も「子和清水」
よく見ると看板も立っています。
道を渡って緑地エリアへ
入口には石の碑も
「養老伝説の地 子和清水」
子和清水1号緑地の一部として保全されています。
ポンプ
ちゃんと水が出ます。飲めないようですが。
歌碑
息子の像
いや、水やで。それ。いくら飲んでも無駄やって、酒にはならん。
緑地の一部は掘り下げられたような感じに。
中央には石で囲われた小さな泉。
上述したように湧き水ではなく汲み上げられた井戸水のようです。
まとめ
ということで簡単にですが、松戸の子和清水を紹介してみました。
駐車場もないし、目の前も交通量の多い交差点でちょっと寄りやすいとは言えないです。
そんなに広くもないし。
すぐ近くにホームセンターがあるのでそちらで飲み物でも買って、そのついでに見てみるくらいで丁度いいかも。
興味がある方は是非。
コメント
懐かしい。子どもの頃、よく遊んだ場所です。(昭和40年代の話)
当時は写真のベンチのあたりまで池で、今の牧の原団地がある場所は「斉藤牧場」でした。
そうだったんですね。
思い出の場所が今でも大切にされているのは嬉しいですよね。