【弟橘媛】妃の形見が眠る橘樹神社(茂原市)へ

橘樹神社へ バイク(2輪もろもろ)
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突然ですが日本武尊(やまとたけるのみこと)ってご存知ですか?

聞くまでもないですかね。

日本神話に詳しくなくても、きっと誰しもが一度は耳にした事がある御名だと思います。

ゲームや漫画なんかにもよく出てくるイメージ。

そんな日本武尊伝説に関わる神社が茂原市にあると知り、行ってみる事にしました。

正確には日本武尊のお妃にまつわる伝説かな。

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日本武尊の伝説

まずは簡単に説明をば。

日本武尊(倭建命)とは?

ヤマトタケル(生年不詳 – 景行天皇43年)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族(王族)。

『日本書紀』では主に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、『古事記』では主に「倭建命(やまとたけるのみこと)」と表記される。現在では、漢字表記の場合に一般には「日本武尊」の用字が通用される。

第12代景行天皇皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたる。熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄である。

(wikipedia ヤマトタケル)より引用

まだ少年とも言うべき年齢で兄貴の手足をもいで殺し、その猟奇的な一面から父である景行天皇に恐れられたり、
またある時は女装して敵を油断させ(お、男の娘(おとこのこ)!?)、討ち取るなど数多くの伝説が伝えられる。

でも登場するエピソードによって名前が変わったり、周りの人物が変わることなどから一人の人物ではなく、複数の人物像が合わさっているのではないかという説もあり。

日本武尊の東征

熊襲など西方の蛮族討伐を終えてようやく家に戻った日本武尊。
でもまたすぐに今度は東国の討伐へと向かわされる。
その道中においても様々な話が伝えられ、地名の由来となっているものも多い。(e.g.焼津)

その詳細については他所に譲る(※)として、
その道中、相模から房総半島へと海を渡る際に今回のお話が出てくるわけです。

すこし悲しいお話ですが。
(※.さらっと読んで見たい人には「古事記を現代語訳っていうかラノベ風にしてみた」がオススメ。)

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弟橘媛(弟橘比売命)の入水

古事記では「弟橘比売命」と書き表される。また妾ではなく后とされる。

さらに相模においでになって、上総に渡ろうとされた。海を望まれて大言壮語して「こんな小さい海、飛び上ってでも渡ることができよう」と言われた。ところが海の中ほどまで来たとき、突然暴風が起こって御船は漂流して渡ることができなかった。そのとき皇子につき従っておられた妾があり名は弟橘媛という。穂積氏の忍山宿禰の女である。皇子に申されるのに、「いま風が起こり波が荒れて御船は沈みそうです。これはきっと海神のしわざです。賎しい私めが皇子の身代りに海に入りましょう」と。そして、言い終るとすぐ波を押しわけ海におはいりになった。暴風はすぐに止んだ。船は無事岸につけられた。時の人は、その海を名づけて、馳水といった。こうして、日本武尊は上総より転じて陸奥国に入られた。そのとき大きな鏡を船に掲げて、海路をとって葦浦を廻り玉浦を横切って蝦夷の支配地に入られた。

(『日本書紀(上) 全現代語訳』宇治谷孟 講談社〈講談社学術文庫〉より)

この話を聞いた瞬間に頭に浮かんだ言葉が「人柱」。
あるいは「持衰(じさい)」か。
なんだってそんな習俗が生まれたんだろうね。・・・怖いわっ!

まぁ実際にはその通りではなく、もっと違う話をこう表現したのかもしれないけどね。

いざ茂原の橘樹神社へ

弟橘媛が入水なされてから七日後、后の櫛が砂浜に流れ着く。
その櫛を御陵に納め祀ったというのが今回訪れた橘樹神社です。

社伝では、日本武尊が東征した際、相模から上総へ渡ろうとした時に海上で暴風に遭った。弟橘媛が海に身を投じて日本武尊の難を救ったことから、日本武尊が弟橘媛の御陵を作り、弟橘媛の櫛を納めて、橘の木を植えて祀ったのに始まると伝える。『古事記』には「七日の後、その后の櫛海辺に依りき。すなはちその櫛を取りて御陵を作り治め置きき。」とあり、これが当社のことであるという。また『日本書紀』では、「さらに相模においでになって、上総に渡ろうとされた。海を望まれて大言壮語して、こんな小さい海、飛び上ってでも渡ることができよう、と言われた。(中略) こうして、日本武尊は上総より転じて陸奥国に入られた。そのとき大きな鏡を船に掲げて、海路をとって葦浦(鴨川市吉浦)を廻り玉浦(九十九里浜)を横切って蝦夷の支配地に入られた。」とあり、この時祀られたのが由来とされる。

(wikipedia 橘樹神社_(茂原市)より引用)

橘樹神社 参道入口
正面の参道入口

橘樹神社 駐車場
駐車場は10mほど先にありました。

橘樹神社 鳥居
鳥居をくぐって行くと水路のようなものが。境界的な意味合いでもあるのかな。
横に「御印 高野槙」と書いてある碑が見えますが、どれがその樹なのかは未確認。

橘樹神社 境内
橘樹神社 境内
綺麗に手入れされている境内

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絵馬
絵馬

手水舎
手水舎

武者像
戦国武将っぽい騎馬武者像
よく確認しなかったけれど誰なんだろう?
(googleマップでは「日本武尊の石像」とか書いてあるけど・・・明らかに時代が違うよね。)

橘樹神社 吾妻池の社
吾妻池の社

吾妻池
この日、池の水は抜かれていた

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古い石碑群
古い石碑群

社務所
社務所

橘樹神社 拝殿正面
橘樹神社 拝殿正面

拝殿
拝殿

拝殿によく吊るされている鐘
あれは音でその場を清めるものらしいですよ。シャランシャランと。
巫女さんが持ってる鈴と同じなんだとか。

橘の紋
橘の紋

橘樹神社 本殿
橘樹神社 本殿
拝殿の奥に本殿

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昔は御陵自体が本殿とされ、今の社殿はなかったそうです。
拝殿から直接古墳を拝む形となっていたというから驚き。でもそっちの方が素敵だと思う。

手水鉢
なので御陵の前にも手水鉢。
奥に見える本殿の裏(写真で左)に御陵。

弟橘比売命御陵碑
「弟橘比売命御陵」と書かれた碑

摂末社
摂末社

まとめ

実は参拝したのは夏真っ盛りの八月でした。
木更津に同じく弟橘媛の櫛がご神体として祀られている吾妻神社があるという。
是非そちらにも参拝してから・・・と思っていたのだけれど、なんだかんだと時間が過ぎてしまった。
今も台風で雨続きだし、もう10月も終わりにさしかかろうかという頃。
さすがにそろそろ書かねばと思い記事にしました。

清々しい空気で満ちていたのを覚えています。
そこに居るだけでも、とても気持ちが良くなるような場所でした。

おまけ

黒猫
大体写真を撮り終えた所で社務所の方に向かうと、黒ぬこ発見!
黒ぬこ
この神社のぬこ様らしく、足下に来て愛想を振りまいてくれました。

コメント

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