里田の海が広がる。
どこまでも続く青い、時に黄金(こがね)にそよぐ穂波の先にぽつんと浮かぶ高台がある。
標高僅か47mほどのこの高台には小さなお社と並び、樹齢1300年とも1500年ともいわれる大木が根を下ろしている。
曰く府馬の大クスと名づく。
・・・
でもクスノキじゃないらしいんだけどね!
実際はタブノキらしいですよ。
でもタブノキは「クスノキ科」らしいので・・・まぁどっちでも良いのかな。
そういうわけにもいかない?
府馬の大クスへ
千葉県香取市は府馬という地に「府馬の大クス」はあります。
かつてこの高台には城があったようで、府馬城址として現在も堀などが確認できるようです。
千葉一族の越前五郎時常が室町時代に築城したと伝えられています。
県道28号線を利根川方面から南下していくとその城跡の残る高台へとたどり着きます。
道なりにしばらく進むと左手に「府馬の大クス」と書かれた青地に白文字の看板が見えてきます。
ちょっとわかりづらいのでここは注意が必要。
その矢印が示す先の狭い道を入って行きます。
あとは時折出てくる標識どおりに進むだけ。
宇賀神社
府馬の大クスは宇賀神社境内にあります。
駐車場は神社の脇に入ったところに数台分あり。
約1200余年も昔に建てられた古い神社だそうです。
宝亀四年(773)三月九日宇気母知神(うけもちのかみ)を勧請し、文化七年稲荷本宮より神階正一位を与えられた。
御祭神は宇賀之御魂神(うがのみたまのかみ)である。例祭日は三月一日であったが、現在は三月の第一土曜日としている。
境内には国指定天然記念物の大クスと小クスがある。
神社の後方は、昔この地の武士団が勝鬨の声をあげた場所として、「鬨の台」と呼ばれている。
また、「鯨波台」や「時之台」とも呼ばれている。
※宇気母知神、宇賀之御魂神は食物(稲荷)・財運(弁財天)の神として信仰されている。
(現地説明文より)
・・・と言う話ですが、
実際のところ宝亀年間の創建に関しては少々思うところがあります。
明治33年に発行された『香取郡誌』に「宇賀神社」について記述があるのですが、それは香取郡多古町飯笹にある宇賀神社であり、ここ府馬の宇賀神社についての説明はありません。
大正10年に改訂された同『香取郡誌』においても同様です。
ただ「府馬楠樹(ふまくすのき)」あるいは「府馬樟樹」という項目内に名前があがるのみです。
また『香取郡名勝案内』(明治44年)においても同様で、「府馬村の古木」の項目において名前のみ確認できます。
そしてこのすぐ近くに愛宕神社があるのですが、
実はその愛宕神社に関しては「郷社」あるいは「名社」として他神社に列して紹介されているのです。
もし本当にそれだけの歴史と由緒があるならもう少し注目されていてもおかしくないのに・・・と思ってしまうのは私だけでしょうか。
ちょっと不思議です。
とは言え、古書に記述がないからと言って歴史がないと言うことにはなりません。
創建がいつであろうと今も昔も里人に愛されてきたことに間違いはないと思いますが。
御神燈とは神に供える灯火のこと。いわゆる灯篭が建てられない代わりに置いてある事が多いのかな。
なんか立派になってる(驚
昔はこんな感じだったのに。(2007年ごろ)
新しくなっていた記帳所に入ってみます。
記帳
たくさんの人々が訪れ、多くの崇敬を得ているのがわかります。
府馬の大クス
この大クスは、標高40mの台地上北端にあり、「府馬の大楠」あるいは「山ノ堆の大楠」と呼ばれ、古くは当地域随一の巨木として親しまれてきました。天然記念物に指定された時にはクスノキとして告示されましたが、昭和四十四年(1969)の本田正次博士(文化財審議専門委員)による調査で、クスノキではなく、タブノキであることが明らかとなりました。指定当時、イヌグスと呼ばれていたことから、種目を間違えて告示されたと考えられます。
このタブノキは、樹高約16m、根周約27.5m、目通り幹回り約15mで、大きく伸びた枝は宇賀神社境内を広くおおっています。樹齢は明らかではありませんが、1300年とも1500年ともいわれ、根は隆起し、幹は起伏に富み、偉容を呈しています。
北側約7m離れたところに「子グス」と呼ばれるタブノキがありますが、もともとは、大クスとつながっていました。これは、大クスの枝が地上に垂れて根を張り、成長したものです。その枝は明治末年ごろに枯れてしまいましたが、枝がつながっていた頃の様子は、江戸時代後期に出された『下総名勝図会』に描かれています。また、大クスの根元には、正徳元年(1711)銘の石祠が深く食い込んでいます。
(現地説明チラシより)
もひとつ『香取郡誌』から引用
府馬樟樹
(前略)中間分れて數(数)幹となる幹の圍(まわり)皆丈餘(※1)なり其の一幹地上に低垂し根を生じ更に一株と爲(な)れり土人博へ(つたえ)て神代の物なりとす或いは曰く経津主命の手栽するところなりと説の如何は容易く信ずべからずと雖も(いえども)其千載(※2)以前の樹なることは疑を容れず
(国立国会図書館デジタルコレクション 香取郡誌より)
※1.丈餘:一丈(約3メートル)あまりあること。 ※2.一千年。また、長い年月。
※カッコ内の読みや注釈は筆者補足
伝承として神代(神話)の時代からあったとも、経津主命(下総国一宮 香取神宮のご祭神)が手植えされたものだともあるが、その真偽はさておき千年以上の太古からあること自体は疑いようがない、というお話。
平成13年には環境省の「かおり百選」にも選定されました。
尚、平成25年の台風により、幹の一部が剥離し倒壊するなどの大きな被害を受けたようです。
比べてみると右側に大きくそびえていた枝がなくなっているのがわかります。
千年をゆうに超える年月の中で、様々な苦難を乗り越えこの木はここに生き続けてきたのでしょう。
この大クスにもし、記憶があったのなら・・・
その長い年月の間に何を見てきたのでしょうか。
そして今何が見えているのでしょうか。
聞いてみたい気もします。
子グス(小クス)
こちらも立派な木へと成長し続けています。
大クス展望公園
神社に隣接して公園が設けられています。
広々とした芝生の広場
広場を囲むようにベンチや東屋も設置されています。
2007年ごろはよく見えたんだけどね(写真は2007年の様子)
展望台からは「麻績千丈ヶ谷」とよばれる、広がりのある谷津を眺めることができます。この地形は、古代、温暖化による海水面の上昇によって海岸線は現在よりも内陸にあり、丘陵台地部を除いて海でした。それが現代のような気温に低下するとともに海岸線が後退し、台地から土と水が流れ出し、台地の間に樹枝状に入り組んだ、特徴的な細長い地形の低地である谷津が形成されて出来上がりました。
太古に入り海だった地域は豊かな水田地帯となり、丘陵台地部であった田部の沖、竹ノ内、小見、川上、高野集落を島になぞらえ、「陸の松島」といつしか呼ばれるようになりました。
(現地看板より)
おぉ、冒頭の思いつきで書いた「里田の海」ってのもあながち外れてはいなかったみたいです。(笑
まとめ
ここの雰囲気が好きで実はちょこちょこお邪魔しています。
公園も綺麗に手入れされていて、いつ行っても気持ちがいい場所なんです。
「どっからきたの?」
駐車場でおじさんが声をかけてきてくれました。
昔に乗っていたハーレーのこと、
重くてちょっとした坂でも動かせなくなるのでバックギアをつけた時の話、
他愛のない世間話をした後で、次の目的地(神社)の話をしたらびっくり。
なんとそこの神職は同級生だったと言うじゃないですか。
不思議な縁を感じつつお礼を言い、その場を後にしました。
ここはトイレも整備されていますし、ツーリングの途中で休憩がてら寄っていくには超オススメの場所です。
でもまわりに民家もあるのであまり五月蝿いマフラーなんかでは行って欲しくない感じ。
静かにまったりしたい時、
是非立ち寄ってみてください。
コメント