二十四孝の玉垣があると言う飯綱神社に行ってきました。
玉垣(または瑞牆)とは神社などの周囲に巡らした垣の事。
彫刻や彩色などが施されることも少なくないのですが、
飯綱神社の玉垣には「二十四孝」という古い中国の孝行物語がはめ込まれているのです。
ん?どっかで聞いたような。
実は以前訪れた妙現信仰の「飯高神社」で見たのも「二十四孝の瑞牆」でした。
作者が同じという説もありますが詳細は不明。
飯綱神社
八千代市萱田にある神社です。
見た感じこの近くに駐車場はありません。
鳥居の下をくぐり登っていくと、飯綱神社の裏手にたどり着きます。
実は神社の隣には「八千代市文化伝承館」が併設されており、
そちらの駐車場に停められます。
文化伝承館には飯綱神社の解説書などがあるようですが、
到着した時には5時を過ぎていたため既に閉館していました。(開館9:00〜17:00)
残念。
かなり急な階段なのでトレーニングなんかに使っている人もいるようです。
この日も何人かいらっしゃっいました。
立て札などの文字はもはや読めない。というか綺麗さっぱり消えている。
二十四孝の玉垣
「二十四孝」をテーマにしています。
八千代市指定文化財 民俗文化財(有形民俗文化財)
飯綱神社の玉垣彫物
本殿周囲の玉垣にはめ込まれた彫り物で、中国の故事「二十四孝」が彫られています。「二十四孝」とは、丁欄・孟宗・董永・郭巨・唐夫人など二十四人の親孝行の話で、わが国では江戸時代以降父母に孝行する教訓として広まりました。本殿の向かって左側に農夫が筍を掘っている図があります。これは孟宗という人が、病の床に伏している老母のために雪深い冬の山に入り、神仏の加護によって筍を見つけたという物語で、孟宗竹の名の由来にもなっています。
彫刻の裏面に奉納者名が刻まれていますが、その人たちの居村名を現在市町村別に分けてみると、次表のように八市におよんでいます。当時の飯綱神社はそれだけ広く信仰を集めていたものであり、信仰圏がよくわかる貴重な民俗資料と言えます。裏面の一つには「下総州 香取郡 彫物工 竹内山幸 〔嘉邦〕」と彫物師の刻銘もみられます。
(現地看板より(表は省略))
その他
境内社・供養塔・大師堂など
飯綱近隣公園側参道
まとめ
八百屋お七の墓があるという長妙寺に行った後、
近くにあるということでついでに寄ってみました。
「飯綱神社」という神社名からもわかるように、
長野県にある「飯縄神社」に縁のある神社ということです。
が、現在の祭神は「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」。
お稲荷さんで祀られている神様と同じですね。
明治の神仏分離令によってそう定められたとのこと。
境内に鐘楼があるのもそれ以前の名残だそうです。
ちなみに長野の飯縄神社は「飯縄権現」という飯縄山に対する山岳信仰・修験道。
「飯綱使い(いづなつかい)」という管狐(くだぎつね:妖怪?)を使役する伝承などもあるようで、ちょっと面白そうではあるのですが、その信仰から離れてしまったように見受けられる八千代市萱田の飯綱神社で触れるのはちょっと違うかなと。
とは言え創建の由来として
「往時、太田道潅がこの地に陣を張り、戦勝祈願して埋めた十一面観音像が白狐のご神託によって掘り起こされた」
と伝えられるなど、その片鱗はのこっているようです。
(「飯縄権現」は白狐に乗った剣と索を持つ烏天狗形で表されることが多いそう)
ということで今回は簡単にご紹介。以上!
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