【天の石笛】海の時化を知らせる不思議な笛音 玉崎神社へ

バイク(2輪もろもろ)
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太平洋に面している飯岡では古くから漁業が盛んです。

全国で一位の水揚量を誇る銚子のすぐ西隣に位置し、
銚子に次いで県内第二位の漁獲量を誇っています。

東に屏風ヶ浦、西に九十九里浜を望むそんな飯岡という地に、とある伝説が語り継がれているのをご存知でしょうか。

古来より不思議な石が浜へと流れ着き、それが海の時化(しけ)を知らせ漁民を守ると言うのです。

妙見様から賜ったとも、龍神様の姫君から贈られたともいうその霊石。
里人はその石を「天の石笛(あまのいわぶえ)」と呼びました。

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「天の石笛(あまのいわぶえ)」伝説

 昔々、神様と人間がまだ近くに住んでいた頃の話だ。
飯岡の浜の漁師たちは毎朝舟に乗り、沖に出ては魚を獲ってくらしていた。
ところがこのところのシケで、漁師の遭難が相次いでいた。
 村の若い漁師源助はひと月前にシケでおとうを亡くしていた。ある日、永井岡の高台にある海津見神社(永井の妙見様)へ出向いていった。
「こんなことが続いたらおっかあも村人も飢え死にしてしまうだよ。嵐が来る前にどうか知らせてくんねえだろうか。」
その社には竜神様の娘である美しい姫様が住まわれていた。漁師を哀れに思われた心優しい姫様は
「源助さん、今度父神が嵐を起こす時には私が石笛を吹いてお知らせいたしましょう。」と、手に持った石笛を吹いてみせた。
「ヒューヒュー」という不思議な音色に心を奪われた源助は、村に戻りその話を伝えた。

 翌朝源助が海を見ると海は鏡のように凪いで絶好の出漁日和に思えた。ところが源助が舟を出そうとした矢先「ヒュー」と石笛の鳴る音が聞こえ源助は仲間の漁師にそれを知らせた。その直後に海は荒れたが漁に出た者は無く、みな無事だった。
 そんな事があった後、竜神様は、姫様をワニザメの姿に変えて海へ連れ戻してしまった。
シケの後の玉の浦の浜辺で、源助は姫様の吹いていた石笛が流れ着いているのを見つけた。源助は海津見神社へその石笛を祀った。
 不思議な事にシケの前にはその石笛に風が吹き込み「ヒューヒュー」という不思議な音を響かせた。村人達は石笛が鳴ると漁に出るのを止め、荒れた海で命を落とす者も無くなったそうだ。

(石笛の里プロジェクト「民話」より一部引用)

この話は昔懐かしのTVアニメ「まんが日本昔ばなし」でも「天の石笛」として放送されています。(昭和62年放送)

その中では謎の老人(鎮守様?)に石笛のことを教えてもらったという筋書きになっているようです。
(参考URL:まんが日本昔ばなし〜データベース〜

天の石笛と飯岡石

このあたりでは凝灰質砂岩の一種で「飯岡石」と呼ばれる石が採取されます。

平べったく丸みを帯びた形態を示すものが多いようで、これらを積み上げ石塁にするなどして利用されてきたと言います。
後で紹介しますが、神社境内の石塁もこの飯岡石を積み上げて作られていました。
屏風ヶ浦の崖面にはこの岩の層が露出しており、浸食によって削り取られた岩石が波間に削られ丸みを帯びると考えられているようです。

非常に硬い石質らしいのですが、そんな石にも穴を開けてしまう「穿孔貝(せんこうがい)」という貝もいるのだとか。
検索するとたくさんの穴が空いた石の画像が見つかりますが・・・トライポフォビアな人は閲覧注意です。(鳥肌!

穴の開けられた石が波に削り取られ転がされるうちにそうなったのか、
はたまた全く違う別の理由があるのかはわかりませんが、
結果として笛状になったものが浜に打ち上げられると、「天の石笛」として近所の神社に奉納されていたようです。

・・・とか言ったら身もふたもないよね。(^^;

うそうそ、きっと龍神様の姫君が海の底で内職(?)のように作り続け、浜に寄せてくれたのです。

多くの人の手に渡るようにと。
悲しいことが起こらぬように
、と。

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平田篤胤も持ち帰った石笛

江戸後期の国学者、平田篤胤も噂を聞き房州周遊の折に持ち帰ったという記録が残っています。
天石笛之記
(『天石笛之記』国立国会図書館デジタルコレクションより)

現在は代々木にある平田神社に奉納されているそうです。

天石笛
(出典:ハフリンの日記

※平田神社で実物を撮影された方がいらっしゃいました。
わかりやすくするため画像を引用させていただきました。

写真を見ると飯岡石というより「銚子石」と呼ばれる砂岩で出来ているようです。
また石笛自体の大きさや穴の大きさから見ると単純に貝が穴を開けたもの、というわけでもなさそうです。

ただし銚子石(比較的脆い)と見受けられることから、貝によって開けられた穴が波の作用などで浸食され、結果として法螺貝状になったと考えることはできるかもしれません。
(ちなみに筆者は専門家ではないのであくまでも勝手な想像です。あしからず。)

石笛と言っても大きさや形状など様々にありそうですね。

玉崎神社へ

さて江戸時代に引き上げられた石笛があるという「玉崎神社」へ向かいました。


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ちゃちゃっと到着。
まずは鳥居正面から
玉崎神社 鳥居正面

朱塗りの鳥居
朱塗りの鳥居

この鳥居の右側に駐車場があります
右側に駐車場

拝殿が正面に見えます
玉崎神社  参道

と、そちらに向かう前、参道の左手になにかあります。
オブジェ

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木が邪魔してよく見えませんが・・・

金色の龍でした。
金色の龍

氏子さんから奉納されたもののようです。
なんと制作期間は五年(!)だとか。

日本武尊命が「玉の旗と龍神」を飾り儀式を行ったという場所を「龍王岬」、その海を「玉の浦」と呼ぶようになった、という伝承に因んで製作されたようです。

手水舎
玉崎神社  手水舎

境内案内図
玉崎神社  境内案内図
なんか盛りだくさん。

御神木
玉崎神社 御神木

御神木の裏に絵馬掛けが設けられていました。
ここのは普通の絵馬ですね。(石笛を模した絵馬は次回の海津見神社で)
絵馬

拝殿正面
玉崎神社 拝殿正面

狛犬
玉崎神社 狛犬

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扁額
玉崎神社 扁額

手を合わせてご挨拶

ところでこの向拝の彫刻が素晴らしいのなんのって。
最近見てきた中では一番かも。

向拝の龍の彫刻
龍の彫刻
親子流
龍の彫刻
龍の彫刻

このエアリアルな3D感というか空気感!
地元の彫工、石田丹治栄貞と岡左内邦俊による共作だということです。

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向拝

拝殿は、嘉永5年(1852)に再建されたもので、一間向拝付きの建物である。屋根はもとは入母屋造、茅葺きであったが、現在は銅板葺とし、正面に千鳥破風を設ける。柱は円柱で頭貫・台輪を組む。隅柱には獅子の懸鼻を隅行方向に各1個付けている。

柱間の正面は、中央間が桟唐戸引分けで他は舞良戸引違い、背面は、中央間が格子戸引分けで他は板戸引違い、側面は、西側面前端間のみ板戸引違いで他は横板壁としている。また、正側面及び背面両端間には切目縁が廻っている。これらは、正面中央間桟唐戸以外は昭和3年(1928)に改修されたものである。

この拝殿は比較的規模が大きく、向拝回りを彫刻で飾るなど、時代の特色をよく示し、彫刻の質も良い。棟札からは、飯岡村の大工や三川(さんがわ)村の彫工によって造られたことがわかる。地元の工匠たちによって建てられた、この地方の当時の歴史と文化を示す好例といえよう。

(千葉県HP 県指定文化財 「玉崎神社拝殿」より引用)

本殿の方へと回り込むと前述の飯岡石の石塁に囲まれているのがわかります。
飯岡石の石塁

でもよく見てみるとコンクリートで固めてる・・・?
飯岡石の石塁
そうした方が強度的には良いのだろうけど・・・。

本殿裏手の石塁
本殿裏手の石塁

旭市指定文化財
玉崎神社の石塁(石垣)

この石塁は、十七世紀中期の築造と推定され、飯岡石(凝灰質砂岩)で造成されている。この石は、海中より産出されたもので、飯岡の寄石といって明神様の御利益によるものと考えられていた。当市としては、貴重な記念物です。

(現地看板より)

本殿を横から
玉崎神社 本殿

玉崎神社 御由緒

 当神社の御創祀は、景行天皇紀の40年(西暦111年)、景行天皇の皇子、日本武尊が東夷征討の砌、相模より上総にお渡りになろうとして海難に遭われた際、御后弟橘姫命が「これは海神の御心に違いない」といって入水されたことで、無事、上総の国につくことができ、更に、海路葦の浦より下総玉の浦にお渡りになられた。そこで尊はその霊異を畏まれ、海上平安・夷賊鎮定のために玉の浦の東端「玉ケ崎」に海神玉依毘売命の神霊を斎き奉るによる。
 後世、「玉ケ崎」を「竜王岬」と言うようになったのは、海神を竜宮の神に付会して、竜王の鎮まり坐す崎と言うようになったものである。

 中世には下総國二之宮・玉の浦総社と称され、武門武将の崇敬厚く、平貞盛・源頼朝・千葉常胤等が参拝され、それぞれ祈願や奉賽のために奉幣や社殿の造営にかかわられた。しかし、竜王岬の欠損がはなはだしく、加えて、天文2年に兵火にかかって社殿は烏有に帰したので、現今の地に御遷座申し上げた。

 江戸時代に入って、上総國一宮(玉前神社)とともに九十九里浜を鎮護する神社として広く崇められ、佐倉藩主堀田氏・久留里藩主黒田氏等武人の崇敬はもとより、平田篤胤・平田銕胤・大国隆正等の文人が参詣している。この頃の飯岡は、九十九里の代表的な漁場として隆盛を極め、相模・三河・紀伊・伊予・阿波・和泉・安芸等の国々よりの移住者も多く、天保水滸伝に名高い飯岡助五郎もこの地に渡って社領地に住み、当神社の潮祭には一党を引き連れ参拝し、奉納角力を執行した。
 近年には、画家竹久夢二等も参詣し、「飯岡の明神様」として御神威赫々たるものがある。

(玉崎神社HP「御由緒」より引用)

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天の石笛

さて今回の目的、玉崎神社境内にある天の石笛です。

天の石笛
天の石笛

旭市指定文化財
天の石笛(あまのいわぶえ)

この石笛は、享保三年(1718)頃、漁師の網にかかり奉納されたもので、石質は飯岡石(凝灰質砂岩)です。頭部に直径30cm深さ40cmの溝穴があり、側面にも穴があって、風が吹き込み、妙音がした。
漁師は、この音によって出漁を占い、霊石として祭祀されています。

(現地看板より)

上部(頭部)の穴
天の石笛

別角度から
天の石笛

笛状のものとは違い、随分と大きいなぁという印象。
こういうバリエーションもあったということかな。

でもなんか色々なものに取り囲まれてて、
風が吹き抜けて妙音をたてる様子が想像できない。(^^;

ま、これはこれで面白いけど。

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その他境内 境内社や記念碑など

平田篤胤の歌碑
平田篤胤の歌碑

かつて楠の大樹に松の木がくっついた御神木がここに立っていたが、台風で倒れてしまったらしい。
その樹を見て詠んだ歌が今は歌碑となって立っている。

八重垣神社
八重垣神社

境内社
境内社

石祠
石祠

竹久夢二文学碑
竹久夢二文学碑

飯岡助五郎の碑と力石
飯岡助五郎の碑

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まとめ

以前「夜泣き石」を見に行った時、この石笛の話を耳にしました。

市川里見公園 夜泣き石と謎の石棺【古戦場悲話?】
石が泣く その名も「夜泣き石」 古来より日本人は山や巨石といった自然の中に霊性を見出し、崇敬してきた歴史があります。 富士山は言わずもがな。 千葉県内において巨石と言えば三石山観音(君津市)を思い出しますが、 巨石のみならず全国には様々な石...

不思議な石繋がりということでずっと気になっていましたが、ようやく先日訪れることができました。

とは言えこの辺りは初めてということでもなく以前にも来ており、灯台やあしたのジョーの石像なんかを見に来てました。

飯岡灯台 and 屏風ヶ浦へ with VTR250
飯岡灯台へ さて、表題通り飯岡灯台にいってまいりました。 実はこの数日前に写真を撮りに出掛けたのだけれど、バッテリーを充電し忘れるという大ポカをやらかしたのでリベンジです。 たまたまこの日は友人と休日が合ったので一緒に。 R356をひたすら...

その近くにこんな場所があったなんて思いもしなかった。
新しい発見とともにあちこち再訪するのも楽しいものです。
また一つ千葉の魅力を知った気がします。
興味のある方は是非。

次はこの近くの海津見神社へ。
(石笛が奉納されていた神社です)

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