日本最古の木造建築をご存知でしょうか。かの有名な法隆寺なのだそうです。
7世紀に創建され、現存するものでは日本最古であり世界最古の木造建築物です。
では千葉県最古は?
そう思って調べてみると印西市にある栄福寺薬師堂の情報に行き着きました。
GW中だったので久しぶりにお散歩ツーリングで行ってみることにしました。
国指定重要文化財 栄福寺薬師堂
「栄福寺薬師堂」は室町時代中期(15世紀)に建立されました。
栄福寺というお寺自体はすでに失われて久しいようですが、薬師堂は現在もその姿をとどめ、国の重要文化財に指定されているそうです。
薬師堂はちょっと狭い道を入って行った先にありました。
道祖神らしき小さな祠が見えますが、
特に看板なども見かけなかったのでナビ必須。
社号標の裏には小さな六地蔵
磨耗具合から見るとそこそこ古いのかな
ここで薬師堂と熊野神社は社号標から見て左側にあることに気がつきます。
回り込んで入り直し。
熊野神社
まずは手前の熊野神社から。
鳥居、そして右手に手水舎、鐘楼が見えます。
(左手の木の奥に見えているのが薬師堂)
鐘楼裏側
鐘がないのはなんとも寂しい。戦時中に供出されたんでしょうか。
さて正面に目を向けると、
薬師堂と熊野神社は並ぶように建っています。
木鼻
真下で目があう感じ。
どことなく可愛らしい表情に肉球へと手が伸びそう・・・(無いけど)
栄福寺薬師堂
栄福寺は行基による開基と伝えられるが、その沿革は明らかではなく、今も熊野神社と同じ境内に共存し、かつては神仏習合の形態として、篤く信仰されていたことがうかがえる。
正面側面ともに3間の堂で、屋根は茅葺寄棟造である。正面階段部分の向拝(ごはい)は、江戸時代中期に設けられたものである。正面には桟唐戸が備えられ、側面の前1間は舞良戸(まいらど)、中の間は板戸、その他は縦板壁となっている。外陣は、鏡天井に極彩色で天女図を描き、内陣は来迎柱を立て、その前に極彩色で飾った須弥壇を設ける。
印西市小倉の宝珠院観音堂と構造形式が似ていることでも知られている。
なお、棟札に「寛正七年(1466)六月柱立、応仁三年(1469)霜月上棟、文明四年(1472)二月二十三日成就」と墨書銘があり、建立年代の明確な県下最古の建造物である。
(千葉県教育委員会 栄福寺薬師堂より)
沿革は明らかでないものの、厨子と本尊は印旛村鎌苅から勧請されたと伝えられています。(現地看板より)
この薬師堂とは直接関係ないけれど、完成した文明四年(1472)というのはあの一休さんこと一休宗純禅師が存命だった頃の話になる。
そして伝えによればその2年前に森侍者(森女)と出会っているようだ。
盲目の琵琶弾きであったと言われ、かなりの年の差ながら一休禅師の晩年最後まで寄り添った女性である。
一休さんと言えばまず古き良きアニメが思い浮かぶのだが、そんな人物たちが生き生きと暮らしていた時代から今に残ることを考えると趣深い。
本尊薬師如来「三十三年に一度の御開扉」
秘仏である御本尊は33年に一度、ご開帳となるようです。
そしてその時期がなんと平成29年11月12日(日)でした。2年前です。
ということは次のご開帳は31年後・・・。
もう少し早く知りたかった、残念。
当日は薬師堂の前に立つ大きな柱(角塔婆)と御本尊が五色の紐で結ばれ、
角塔婆に触れる事でご利益を得る事ができると言われているようです。
(出典:ふるさと古寺巡礼)
【追記】
ご開帳の様子を撮影した方がいらっしゃいましたのでそこから写真を1枚引用させていただきました。
他にも天井天女図なども撮影されています。興味のある方は下記リンクからどうぞ。
→ 「ふるさと古寺巡礼」
ビンズル大師
薬師堂の傍らには「ビンズル大師 左甚五郎一夜の作」と掲げられた木像。
賓頭盧(びんずる、Piṇḍola Bhāradvāja, ピンドーラ・バーラドヴァージャ、音写:複数あり)は、釈迦の弟子の1人。獅子吼(ししく)第一と称される。名がピンドーラ、姓をバーラドヴァージャである。名前の意味は、不動、利根という。十六羅漢の第一。バーラドヴァージャはバラモン十八姓の中の一つである。
漢訳では、賓頭盧跋羅堕闍(びんずるばらだじゃ)、賓頭盧突羅闍(びんずるとらじゃ)、賓頭盧頗羅堕(びんずるはらだ)、賓度羅跋囉惰闍(びんどらばらだじゃ)などと音写する。略称して賓頭盧(尊者)と呼ばれる。
(wikipedia 賓頭盧”より)
体の悪いところをさすればその部分が良くなると信仰されているようです。
お顔は磨耗し目鼻の位置がかろうじてわかるのみ。
まとめ
2019年4月15日(現地時間)、フランスのパリにあるノートルダム大聖堂にて大規模な火災が発生、木造であった屋根や尖塔が焼失、崩落しました
そのニュース映像を見て心を痛めつつ、そう言えば最古の建築物って・・・と冒頭の話になるのですが、いやぁ火事って怖いね。
何百年とも言う時間があっという間に灰燼に帰してしまう。
幸いにも多くの収蔵品は無事に運び出されたようですし、石組みの部分は残っており、かつ完璧な3D計測データも残っているようなので復元は可能でしょう。
今回訪れた薬師堂は当然ながら木造です。
防火施設は設置されていましたが十分すぎるほどに注意してもらいたい。
これからもう500年、いやそれ以上に伝え残していくために。
ということで次もほぼ同時代に作られたという別の観音堂に向かいます。
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