「こらいかん、すぐにでもまっ暗んなるべ」
男は額につたう雫(しずく)を拭って、そうひとりごちた。
藪ぶかい村境いの一本道。
時は暮れ六つ、辺りはいっそうの陰を落としはじめている。
朝から降り続く雨は一向に止む気配がない。
ざざざ、ざざざ
チラリと横を見やれば
池の水は溢れんばかりに増している。
なぜか感じた寒気に思わず身が震えてしまう。
「なんだべなぁ」
男は止めていた足を動かす。早く家に帰ろう。
「!?」
ふと視界の端に何か白いものが立ち昇る
仄暗い池にぬめりと光る鱗のようなもの…
それは鎌首だけでも十尺はあろうかという白鱗の大蛇であった
その姿を目にした男は不意に眩暈を覚えると、そのまま意識を失いゆっくりと道端へ倒れ込んだ。
貴船神社にまつわる白蛇伝説
とまぁそんな話であったかどうか定かではありませんが、
とある石工職人が東金からの帰りに出くわした出来事だと、記録には残されています。
そして話には続きがあります。
その後、意識を取り戻した石工は恐れおののきますが、
辺りに人気はなく、民家などもないような原野なので助けを呼ぶべくもない。
勇気を振り絞って家へと帰ります。
着いた時にはもう夜半過ぎ、倒れこむように寝床につくと夢の中に一神女が現れこう告げるのです。
「吾は富山の池の主なり 貴船神社に祀られたしさらば我汝に何事の願事なりとも一願を達することを得せしめん」と。
(私は富山の池のぬしです。貴船神社に祀ってくれれば貴方の願いをなんでも一つ叶えてあげましょう)
ところで石工には老いた父親がおりました。
病で足腰が立たなくなった父親の薬のため奔走したものの、効果を得ず嘆いていたところだったのでそのことを願います。
すると不思議なことに病父は快癒し、孝行者の石工の悲嘆は一瞬にして喜びに変わります。
感動した石工は貴船の神像を石に刻み、富山の地に奉祀せんとこの土地の親村であった上勝田村名主に掛け合います。
さらに同じく親村であった榎戸新田、大関新田村にも相談し、無事に奉祀が叶うこととなりました。
時は江戸後期の文政一二年、今から約200年前のことでした。
『千葉県印旛郡誌』国立国会図書館デジタルコレクションより
願主は誰?
昭和55年に社殿を改修した際、ご神体の底に願主とその家族の名が彫られていたことが確認されています。
そして改修に合わせ建てられた石碑には「願主は佐倉市弥勒町の小川治郎兵衛 六一歳、伝えによる老父であろう」とあります。
ところが印旛郡誌には「こは雁丸の人藤田己之太郎の父にて」との記載があります。
普通に読めば 藤田己之太郎の父 が御神体の底部に彫られていた 小川治郎兵衛 なのかと思いますが、ちょっと待てよと、名字が違うぞと。
しかもこの「雁丸」というのは貴船神社のある富山から見て北東にさほど離れていない、今も八街に残る地区名のようです。だとするとこの人は「佐倉市弥勒町の石工」ではありえない。
ん〜じゃこの人誰?(笑
よくわからな〜い。
印旛郡誌には「口碑によるに」とあるので、もしかしたら聞き取りした人だったのかな。
まぁ大正から時代は下り、昭和に改めて確認されたのだから御神体の底に彫られていた 小川治郎兵衛さん とその息子の石工職人さんが貴船神社創建の由緒であることに間違いはないのでしょう。
富山貴船神社へ
伝承を読んで興味を持ったので実際に訪れてみることにしました。
さくさくっと到着。
富山十字路の交差点脇にその神社はあります。
駐車場は・・・隣にコミュニティセンターがあるのでそちらに駐車できるかも?
自分は飲み物を買うついでに向かいのコンビニに停めました。
迫力のある狛犬。比較的最近に作られたもののようです。(平成18年7月吉日建立)
貴船神社の由来
文政のむかし、ひとりの男がこのあたりを通りかかり、折からの豪雨の中、水かさの増してゆく北側の池に白蛇の立ちあがる姿を見た その夜その男はその白蛇の夢を見た。白蛇は自分の栖んでいる池の傍に貴船の神を祀ってほしいその代りにどんな願でもきくということであった。男は佐倉の弥勒町に住む石工で、その日は東金からの帰途であった。
その男には難病に苦しむ老父がいたので白蛇の夢に従ってその事を願立したところ病はたちどころに快癒した。
男は喜んで白蛇との約束を果たすため当時この土地の親村であった上勝田村榎戸新田村大関新田村に相談したところ、三村は貴船の神は農事を守る神であるから是非協力して実現させたいということになり文政十年工事に着手、同十二年に完成した。以来百五十年この貴船神社は治雨降雨の神として霊験もあらたかに郷党の尊崇を集めて来たのである。
今回の社殿改築に際し御神体の底部の記録その他によって従来の伝説が殆ど実録に近いものであることがわかった(太字筆者)
願主は佐倉市弥勒町の小川治郎兵衛六十一才文中の難病に苦しむ老父であろう。
昭和五十五年四月二十一日 氏子総代(氏名略)
(現地石碑より)
その横を見ると貴船神社の本殿が見えました。
件の神像が納められているところですね。
改めてご挨拶
まとめ
村の神社って感じの落ち着いた雰囲気でした。
普段は子供達が遊ぶような場所なんでしょうね。
コロナ禍のせいか誰もいませんでしたが。(^^;
ところで池のぬしであった白蛇は無事に祀ってもらえたのでしょうか。
「池の傍に貴船の神を祀って欲しい」
「吾は富山の池の主なり貴船神社に祀られたし」
・・・どっちだったのかな。
石工が神像を彫り、貴船神社が建立されたのは確かなようですがどちらだったのかは判然としません。
今や富山の池も姿を消し、どこにあったのかさえ伺い知ることはできませんが、
またいつかこの広場に子供達の笑い声が響く時間が取り戻せたらいいですね。
ということで今回は以上!
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