先日龍ヶ崎の頼政神社に向かう途中、なぜか道を間違えてしまいました。
それほど迷うような場所でもなかったのに。
交差点を曲がってしばらく行った後に気がついて引き返します。
その後無事に頼政神社へと参拝できたのですが、帰るにはまだ少し時間も早く、
来る途中に看板で見かけた「蛟蝄神社」に行ってみることにしました。
そういえばどっかで聞いたことあったなぁと。
戻りがてら向かってみればまさに来る途中で間違えた道。
しかも結構近くまで行ってました。
少々驚きつつ、これもご縁かと思い参拝してきました。
がまさか映画『君の名は。』のモチーフになったものまであるところとは。
下総国相馬鎮守 延喜式内社 蛟蝄神社
「奥の院」から参拝。
関東最古の水神様を祀る延喜式内社
なんと創建から2300年(!)
蛟蝄神社の始まりは、約2300年前(紀元前288年)に現在の門の宮(かどのみや)の場所に水の神様の罔象女大神を祀ったのが始まりといわれています。698年に土の神様の埴山姫大神を合祀(ごうし)し、水害や民家が近いという理由で詳しい年代は分かっておりませんが社殿を東の高台(現在の奥の宮)に神社を建てました。門の宮を取り壊すはずでしたが氏子崇敬者の声が上がり、御祭神の御魂(みたま)を分祀し門の宮にお祀り致しました。明治42年(1909年)に立木地区にあった「八坂神社(やさかじんじゃ)」「天神社(てんじんじゃ)」「稲荷神社(いなりじんじゃ)」「八幡神社(はちまんじんじゃ)」を合祀して現在もなお一層の御神徳(ごしんとく)をもって下総國相馬の郷を見守っておられます。
(蛟蝄神社webサイトより引用)
その社名は「蛟(みつち)」から
「みつち=こうもう」の名に由来は諸説ありますが、はるか昔この辺りが海であったころの大地の形が蛟(みつち=伝説上の龍)に似ていたためといわれております。境内の石碑に龍神様の姿をご覧いただけます。
ちなみに駐車場は階段のちょっと先にある坂から上がっていった右の先にあります。
ご時世ですね
コロナ禍で手水舎を閉鎖してるところもちらほらあり、
今後身を清めるのはアルコールでというのが伝統になるんでしょうか(^^;
門の宮
奥の院の場所から元の道を少し先へと進むと「門の宮」がありました。
こちらにある鳥居が映画『君の名は。』のモチーフになったといいます。
「君の名は。」の宮水神社の鳥居は蛟蝄神社 門の宮の鳥居をモチーフにしています。回想シーンを少しですが関わらせて頂きました。鈍色装束/ねじまち袴/冠 纓の角度 #君の名は。 pic.twitter.com/ZGA8QeN4Fu
— 蛟蝄神社 (@koumoujinja) March 8, 2017
装飾は見事なれどちょっと痛みが激しいか
戸板に隙間があったりもする
蛟蝄神社の逸話 明神の絵馬
蛟蝄神社門の宮には「繋ぎ馬図」という絵馬が所蔵されているそうです。
立木村はたいへんなさわぎ。夜になるとどこからか馬がやってきて、稲を食べてしまうというのです。ある雨の日、この雨ではと田の番をとりやめたのですが、翌朝、よほど馬は腹がへっていたとみえて、いつもより広々とした場所の稲が食べられてしまいました。あるひとりが、馬の足あとを見つけ、みんなでたどっていくと、門の宮で消えています。
「おい、いたぞ」。その男の指さしたほうをみて、みんなは大笑い。それは絵に描かれた馬だったのです。しかし、よく見ると、馬の口にわらくずがついていたり、4本の足にどろもついています。いままで笑っていた人たちも真剣な顔に。「そういえば、この馬の絵はえらい絵描きさんが描いたというではないか」「そうよ、いまをときめく、狩野元信という名人が描いたものよ」。あるひとりが、「この馬には、たづながついていない。だから歩き出す。狩野さまにお願いして、たづなをつけていただいたら」。
そこで、名主の市兵衛が代表となって、京の都に行き、狩野元信の家をたずねました。ところが、なんと元信は市兵衛がここにくることやその用件まであらかじめ知っていたというのです。「実は、おまえさんの村へ行ったとき馬の絵を描いたが、わざと馬にたづなをつけなかった」といいます。元信は「わたしはあの馬の絵に一生をかけるつもりでした。もしあの絵が、たづなもついていないのに、馬がどこへも出歩かないようだったら、わたしは絵を描くことをあきらめようと。だから、あなたがいつきてくれるのか、毎日毎日待っていたのです」。元信の眼からは、涙が止めどもなく流れるのでした。元信にたづなをつけられた馬の絵は、その後、2度と稲を食べに出歩くことはなくなりました。そして、今もまだ、ジッとして門の宮の中にいるのです。(『利根町の昔ばなし』高塚馨著/崙書房刊より抜粋引用)(写真は蛟蝄神社webサイトより)
この話によく似たものが以前行った柏市の布施弁天にもありました。
畑の作物を食い荒らす馬の後を追いかけると・・・
また流山市の東福寺にも。
田畑を荒らす鴨を追いかけたところ・・・
優れた図画や彫刻などは今にも動き出しそう!と褒め称えることからこのような話が生まれるようです。
ただ千葉県の方では目を塗りつぶすだの目に釘を打つだの結構キツイ。
手綱を描き足すことで収めるというなんとも平和なお話なのは・・・県民性の違いでしょうか(笑
まとめ
ということで蛟蝄神社に参拝してきました。
どっかで聞いたことあったような・・・
なんて思ったらそれもそのはず、
2300年前も前に創建されたという関東最古の水神様を祀る式内社でした。
当ブログでは「千葉ツーリング散歩」というコンセプトで回ることが多く、茨城県にある蛟蝄神社はスルーしてましたが、
ここはすごく気持ちの良い場所。
神様の優しさに満ちる場所。
そんな印象。
間違えて近くまで行っていたことに後で気づいたけれども
もしかしたら呼ばれてたかな?なんて。
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