先日訪れた千葉県印西市結縁寺にある賴政公の首塚および名馬塚。
京都の宇治平等院にて生害なされた賴政公を供養したものと伝えられています。
そして賴政公を祀った神社が茨城県にもあると聞き、
せっかくなので近隣(とは言え隣県ですが)にある賴政公ゆかりの場所も巡ってみようかと。
龍ヶ崎賴政神社
さらっと調べた感じでは茨城県に二ヶ所、古河市と龍ケ崎市にあるようです。
今回は龍ケ崎市の方へ。
ちなみに龍ケ崎市の賴政神社は小さな石祠で、社殿が建っているわけでありません。
また狭い道にあるので車で行く際は駐車場を事前に確認していきましょう
バイクでも複数台で行く時は停められる場所を確認してから行くが吉。
前回の賴政公首塚の記事はこちら
ということでサクサクっと到着。
クリーニング店の横から入っていきます。
というか駐車場の中に外から入り込むようにフェンスで区切られた参道が伸びている
なぜこんな仕切りになってるの?
敷地が不思議な切り取られ方をしているので駐車場側から見てみた
フェンスで囲まれ、なぜか駐車場側から入ることはできない
まとめ
不思議な形だなと、その後色々調べてみたら某掲示板のログを見つけました。
その方のおじいさん曰く、
かつてここには池があり、その中に小島があって祠があったのだとか。
また、水田の中の小さな丘であったという話もあります。
横町から西新道に至る頼政通りの、西新道に交差する地点に近い所に駐車場があります。
かつてここは水田で、その中の小さな丘の上の大きな松の根元に祭られていたのが、頼政神社です。
現在は松の木に代わって大きなヤマハゼが立っています。
小さな小さな祠ですが、地元の人は「頼政さま」と呼んで崇拝し、800年以上も土地の信仰を集めています。
頼政の「墓」については、大同小異の説を持つ場所がほかに2カ所存在します。
特に龍ケ崎の場合は、頼政の墓なのかその子の仲綱の墓なのが二通りの説があり、これらの説の是非を問うことはもはや不可能と言わざるを得ません。
平安時代末期、いちはやく平家追悼を図りながら敗死した頼政。
頼政は自害する際に家臣・下河辺行吉に自分の首を東国へ運んで葬るように命じました。
鎌倉時代になって下河辺が一族の守護神として、頼政神社を建てたと伝えられています。
平家打倒の先駆者であった頼政の墓は、下河辺氏やその領民にとって、精神的な糧になったに違いありません。
頼政神社は、新地開発における産土神の地位にもあったと考えられています。
(龍ケ崎市観光物産協会より引用)
いずれにせよ、今やその場所は埋め立てられて駐車場となり、
結果としてこのような形で残っているようです。
そう考えれば確かに想像できますね。
外側から延びる参道がその小島への道だったのでしょう。
さて次は古河市の賴政神社にも行ってみようかな。
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